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2005年8月25日 (木)

BRING THA NOIZE!

僕のオリジナルの投稿以来、僕はロングテールのシグナル/ノイズ比についてスマートな連中と興味深い議論を持ってきた。これらの比は重要だ、なぜなら消費者の行動を支配するからだ。ノイズがたくさんありすぎると、みんな買わない。そしていいフィルター(検索からレコメンデーションまで)なしでは、ロングテールは単なるノイズだ。

ちょっと難解かもしれないけど、僕はテールへと需要を牽引するフィルター、レコメンデーションや他のツールや技術について丸々一章書いていて、これをもうちょっとだけ掘り下げてみる価値があると思う。

John Hagelは僕がレールからちょこっとだけ外れてしまったと思った。彼は頭脳明晰なので、僕はこの問題について考え直すために普段より長めに書こうと思う。これが僕らの議論で、みんなと共有しようと思う、なぜなら興味深い見識につながると思うから。

僕はこのコンセプチュアルなグラフを投稿した:
signalnoise_2
彼の投稿では、Johnはこのように取り上げた:

(Chrisは)このシグナル/ノイズ比がテールへ行く程下がると断言する。本当か?これは主観的じゃないか?僕は本当の外れものかもしれない(僕らはみんなそうじゃないか?)が、少なくても音楽に関して僕にとって、シグナル/ノイズ比はテールへ上がるほど大きくなる。僕が思う肝心な点は、商品の(質よりも)純粋な質はテールへいくほど増大し、これらのアイテムに関しての用意された情報の入手可能性が減るということだ - これがテールへ行くにつれ相応しいリソースへコネクトするのが難しくなる要因だ。

僕はeメールでJohnと何回もやり取りしたが、それほど前進しなかった。Johnの音楽に対する趣向は彼が言うようにニッチだ。彼はトップ100、もしくはトップ1000のもので好きなものがない。そして彼は彼と同じような人がたくさんいると推測している(彼の特定のニッチに関してではなく、そのようなものに対して)。結果的に、彼のS/N比は別のようになり、ヘッドでは0(シグナル無し)で、ピークはミドルかそれより深いところで、それから何千万ものガレージバンドがいるテールの終わりの方まで下がり続けるというものだ。

僕はJohnを僕が書いた曲線はみんなのS/N比の集積で、それぞれ違うけど、一緒になったら僕が最初に投稿したものと同じになる、というもっとコンセプチュアルなチャートを使ってJohnを説得しようと試みた。このようなものだ:
sn2_1
でも彼はまだ不満そうだった。これには驚いた、なぜなら僕が本当に筋が通っている思っているから:テールにはよりたくさんノイズがある、なぜならそこにはよりたくさん何でもあるからだ。ほとんどのものの売り上げは芳しくなく、また入手できるものの量も同様だ--そして君が欲しくないものの量の幅も--ロングテールが下にいくにつれ多くなる。このようだ;
sales_vs_stuff
何を求めているにせよ、テールの下へ行くほど君が探していないものが増える。これがシグナル/ノイズ比が悪くなる理由で、君がテールの下へいくほど、(いい検索とフィルターで)ほしいものが見つかる傾向があるにせよ。

これはパラドックスみたいに見えるかもしれないが、そうではない。君がほしいものの多くはテールにある。君がほしくないものも同時にテールにある。だからこそ増加する悪いものからいいものを抽出するために強力なフィルターが増々必要になる。

でもコンセプチュアルなグラフはそれをやっていなかった;Johnはまだ懐疑的だ。だから実際のデータを集めることにした。僕は5人の音楽コレクションを分析した:僕、Anne(僕の妻)、僕のアシスタントのPeter Arcuni、そしてJohn自身(彼はロカビリー、サーフ音楽とエスニック・テクノみたいなアルジェリアのライ音楽に傾倒しているようだ)、そして僕のトラックバックで見つけて末端の音楽を好み(ほとんどアフリカン・ポップ)、好意的にAmazonのリンクを提供してくれたKoranteng Ofusu-Amaahだ。Korantengからは二回データをもらった:一回目は彼が聴いているランダムなリストで、二つ目は今年のベストのリストだ。

全体的に、僕がそれぞれのテーマに含んだ曲は何十から200タイトル以上まで及んだ。(これは示唆する以外には少なすぎる。でも、僕はいくつかの会社と充分大きいnのデータセットを得るために拡張していて、本に含まれればいいと思う)

これが僕が出したものあ(下の数字を滑らかにするため対数尺度でフィットさせた):
musicsn_1

ここで注目するべきなのは、いかにニッチであろうと、みんながテールの下へいくほどS/N比が下がっていることである。なぜ(Anne以外の)John, Koranengと僕がトップ100のアルバムを一枚も持っておらず、さらにトップ1,000のアルバムもいくつかしか持っていないのにこうなるのか?なぜ僕が上に示したコンセプチュアルなグラフで示した通りに上へ上昇してから下降するグラフにならないのか?

答えは巷には音楽がたくさんあり、僕らがニッチだと思っているものすら今だに十分位数だからだ。

上のチャートでは、僕はみんなが適当な注意を払うもっとも小さい単位である5,000sからのレコード・コレクションを捨てた。また完全な分析では600,000の範囲でたくさんのアルバムが含まれていたにも関わらずヴィジュアル的なインパクトのために100,000でチャートを切った。

僕がグラフで描いたコンセプチュアルなS/N比グラフで上昇し下降するという形状は実際ほとんどの人ではトップ5,000から10,000の間で起こる。ほとんどのみんなの音楽コレクションの密集地帯を通り過ぎると(S/N比は)テールの下へいくほど下がる。僕がやってように5,000sから捨てると、ヘッドの綺麗な構造は大きな奥行きにより妨害されてしまう。

豊富性マーケットではトップ100はどうでもいい。僕のもっともメインストリームよりの対象(Anne)でも平均ランクは3,000だった。ロングテールの全体像では、多くの商品/作品がありすぎて、今日でニッチと考えられているものすら比較的人気があるとわかる。例えば、僕のコレクションの平均売り上げランキングは25,000だった。これは極端に末端に感じるかもしれないが、アマゾンが提供するトップ5%に留まっている。一歩引き下がってマーケット全体を見渡さなければいけない。その解像度で、僕が最初に記述した下降するS/N比の曲線は僕らほとんどに表出することになる。

ロングテールは長い、そして引き下がって曲線の全体を見渡す機会を与えてくれる。現在のヒット・ビジネスのミクロ構造、僕らの文化を長い間固定していたブロックバスターのチャート、は音楽ユニヴァース全体のマクロ構造では急速に失われている。その世界は広く、トップ40は終わりではなく、その入り口にしか過ぎない。

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ロングテールではないもの

backwards_tailロングテールというフレーズの間違った使い方を多数目撃したけど、このバカな投稿を見て重い腰を上げることにした。線を引く時がきた。ロングテールはどこでも見られる、だがあらゆるところで見られるわけではない。

この言葉に関しては歪曲がたくさんあるが、もっとも見られるのが"末端(fringe)"に対しての新しいポジティブな現象として使うことだ。ロングテールは君の作品に対する需要の欠如を説明する魔法の棒ではない。ロングテールは売り上げが芳しくない商品に対しての解放カードではない。もしくは弱い部門や良くないアイデアの。

あるものが人気がないということはロングテール効果による強力な需要創出の前段階にいるということを意味しているわけではない。もっと近いのは、商業的に興味深くないということだけで、一生そうならないかもしれない。

テールにある"ニッチ"の商品のほとんどは単なるゴミだ。それはそれで構わない、なぜならそれらのいくつかはゴミではないし、悪いものから良いものを分離するための機能的方法でそれらを楽しむ人を見つけ出すことができるからだ。でも重要な要素を忘れてはならない:需要を引き起こす機能的方法だ。

オリジナル記事
で触れたように、ロングテール効果が働くためには、レコメンデーションと他のフィルターにより消費者があるものから他へ導くために、比較的ヒット商品であるヘッドとたくさんのニッチを含むテールが必要だ。

ヘッド無しのテールはノイズだらけでランダムすぎて、消費者を牽引するには至らない;人々は馴染みのあるものから始めたがり、それから信頼できるレコメンデーションで馴染みの無いものへ行く。同様に、テール無しのヘッドでは選択肢が制限されすぎている;君がほしいニッチを探し出す確率は君がすでに知っているものより遥かに低くて飽きてしまうだろう。

よってロングテールの二つの可能性は:

1. ヒットとニッチを一つのヘッドからテールへの大きいカーブに集積させる。
2. 他の誰かの集積された曲線にプラグインできるコンテンツと商品を生み出す。

もし君の売っているものが末端だとしても、ロングテールの恩恵を受けられるかもしれないけど、それは需要を牽引できる現存するマーケットにうまくフィットした場合である。そのマーケットが存在しない場合、あるニッチ商品を放り込んだからといって需要を作りだすことは難しい。もし(そのマーケットが)あったとしても、もしフィルターとレコメンデーションが充分良くて始めてオーディエンスを見つけることができる。

ここに他のロングテールではないもののいくつかを紹介する(不愉快な例へリンクする反復する罪から守るために):

コモディティー化

・LTはニッチ化についてで、コモディティー化とは違う

単純なバラエティー

ちょっとした選択肢やちょっとしたカスタム化を提供すること(サンドウィッチの中身のオプションを増やしたりすること)は充分ではない。ロングテール効果はバラエティーと選択肢を十倍から無限大に拡大した時に起こる。

全てのアマチュア、自費出版の未来のためのケース

ロングテールはかつてないほど商業的なコンテンツができるだろう。それは単にさらにアマチュア料金で含まれることになり、比較的シームレスなプロからアマへの連続性で形成されるだろう。

実際のヒットの終わり

LTはヒットの圧力を終わらせ、ニッチへと同じ用にマーケットをシフトさせる。だが間違いなく、あるものが他より遥かに人気があり続けるということは事実だろう。べき乗の分布は多様性自身ぐらい自然だ。

でかいマーケットを除いた小さいマーケットへのフォーカス

繰り返すが、知られているものから知られていないものへと、フィルターやレコメンデーション・エンジンが需要を曲線へ牽引するためにはヒットとニッチ両方が必要だ。

単なるべき乗法則

べき乗法則は遍在している。ロングテールは違う。べき乗法則はバラエティー、不均衡とネットワーク効果(口コミ)があるところではどこでも存在する。ロングテールは巨大なバラエティーとヒットとニッチの間の幅が必要だ。結局のところ、多くのショートテールはべき乗法則の分布で切り取られているだけだ。それらは単に長くはない。

いんちきロングテール売り文句にうんざりしているベンチャー・キャピタリストは不運な起業家にこの投稿を指摘してもいいよ。

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2005年8月21日 (日)

誰がテレビ番組は30分単位でなければいけないと言った?

addtv僕は友達と賭けたんだけど、10年以内にテレビはもはや30分単位ではなくなるだろう。30分という単位については何ら特別なものはなく、ただ単にブロードキャスト番組を一時間単位で始まって終わるようにするためにスケジュールする時に、分割するのに便利なだけだ。ブロードキャストのスケジュール以外では、エンターテイメントやニュースはあらゆる長さのものがあり、30秒間のクリップから3時間ものコンサートなど多彩で、30分という時間に関してはものに特別なものはない。

文化的選択として僕らが今日許容しているその他の因習と同様、ビデオを30分単位で作ると言う固定された番組の因習は非効率的な配信による産物にすぎない。僕は最終的には消え去り、人間の多様な注意力の長さや、コンテンツのタイプを反映するもっと自然な長さのビデオの長さのものに置き換えられると思う、ネットワークの番組編成の因習や広告主の優先度ではなくね。これも時に驚かされる配信(配給)の希少性から豊富性へのシフトの結果でしかない;これは僕らの文化でこびりついた希少性の考え方の例でもある。

ならビデオのコンテンツのもっと自然な長さはどれぐらいか?まぁ、僕自身の家族の視聴を見る限り、少なくても三十分単位ではない。僕はそんなにテレビを観ないけど、僕は手当たり次第のウェブ・ビデオ(1-10分)と映画(1.5-2時間)を観る。僕らの子供はDVRでテレビ番組を観るけど、CMをスキップするのがお手のものになったので、彼らのとってのビデオとは20分単位だ。僕の妻は彼女のお気に入りのテレビシリーズをDVDで観るので、午後楽しむさいには一時間にもなるし三時間にもなる。

僕の感覚でいうと、ほとんどのビデオは三十分未満が適している。現時点では他の人と同様に推測なので、僕ができる範囲で定量化してみた。結果は下のグラフで示されている。赤いバーが現在のケーブル番組の統計的な特徴を示していて、カテゴリー化できないもの(HSN, CSPAN)を差し引いている。青いバーが僕が推定した仕事の部分で、bittorrent等で見つかるビデオ番組の平均的時間を集めたものだ。
videolength
いくつか気づいたこと;一時間単位の番組のほうが三十分番組よりたくさんあることには驚かされた(少なくても僕のアナログ・ケーブルでのサンプルに関しては)。二時間のバーは映画だけど、2.5-3時間のものはスポーツだ。同じ日でも時間が違えば三十分の番組と一時間の番組の比率はことなる(午後の早い時間ではほとんど30分のシットコムで、朝では三十分の子供番組;一時間のトーク番組は昼頃と午後遅くだ)。しかしながら大体の傾向は予測通りで、現在のほとんどの番組は三十分単位だ。

誰からでもビデオがオンデマンドで届けられるようになるIP-TVの未来では、僕らはもっと短いものをたくさん観るようになると見ている。僕らは既にチャンネルの放牧地状態になっていて、一分にも満たない番組の宣伝から次へ飛んだりするので、それが観られるべき方法でないにしろ、明らかに僕らは短いビデオに慣れている。 その現実を認めて、なぜテレビ番組を注意力が少なくてもすむ自然な長さで、今の世代がどちらにしろそう観るであろう長さで提供しないのか?同じように、ニュース番組は短いものを何束にもまとめあげて、三十分か一時間の番組にする;その代わりに視聴者がメニューから観たいものだけをピックアップしたほうがいいと思わないかい?

今日の三十分というピークの代わりに、僕は1, 2, 10と20分のより小さいピークを観ることになると思う。ほかのところでは、時間需要曲線はよりたくさんの番組が三十分単位の圧力を壊すことによって多少は滑らかになるだろう。特にスポーツは何十もの新しい長さに切り取ることができる:全試合、ハイライト、重要なクゥーター/イニング、最後の二分間など。ウェブでは既にそのようで、テレビが同じようになるのには長くかからないと読んでいる。

(どちらにしろ、ロングテールに関してこれらの全ての点でメディア自身のサイズと形を変えることはテレビ以外でも同様に当てはまる。記事、本とエンサイクロペディアのエントリーに関して同じだということをこの投稿を見てくれ)

アップデート:

Mark Pesceがより短い番組に移行することを含むテレビに関しての"hyperdistribution"の効果について記述したこの素晴らしいエッセイがあることを気づいた:

テレビで過ごす時間は、テレビが携帯、ラップトップやゲーム機に広がるに従って、より拡散的(pervasive)になっている。これはそれらのデバイスとそれを良く使うシチュエーションに良く合うような番組に対する需要が大幅に創出されることになる。これはバスや電車を待っている人達やランチタイムが余った人達などに典型的に当てはまる。これらの視聴者は22分や44分など観る時間が無い;彼らのはほんのちょっとした時間があるだけで、ちょっとした時間を使いたいだけだ。

このマーケットは一般的にコメディーを好む - 11分間番組のカートゥーン・ネットワークの"Adult Swim"のエピソードやJibJabの"This Land"(一週間に70,000,000ダウンロードがある)などだ。それが短く楽しいほど、より多くの視聴者が見つかるみたいだ。これはテレビがどたばた劇へ移らなければいけないというわけではない。(Adult Swimの番組の)Robot Chickenは例えば、多くの場合高度に知的で、風刺、パロディーとどたばた劇を含む同時に様々な次元で機能するジョークがある。

これを考察すると、僕らのメディアの中でサイズが変化した前例がたくさんある。ひと時、書かれたニュースは毎朝新聞の記事サイズで届けられていた。今ではスクリーンのサイズの無限の供給で届けられ、ニュースが出る度に一日中配信される。結果的に、新聞はマーケット場が12-24時間後に届けられる紙上の奥ゆかしい権威あるニュースから、ニュースが出た後10-20分後に届けられるスクリーン上のものへとシフトすることによって衰退している。一方、実体のあるものとしては未だに本と月刊誌が存在している。別の言い方をするとマーケットは中間物を捨てている;人々は今ある短いものと来月出る長いもの両方を欲しがっているけど、明日出る12の一インチコラム欄はほしがっていない。

僕が思うに三十分番組はテレビの新聞だと思う--配信の希少性により生まれた形で、もはや全盛ではない。需要は便利さとエンターテイメントに関してはより短いコンテンツへとシフトし、内容と満足に関してはより長いコンテンツへとシフトする。だがその中間は残らない。

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クリシェになることは"いい”ことでしょ?

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実際のベンチャー・キャピタルの売り込みプレゼンテーションであるこのグラフを提供してくれたDavid Hornikに感謝。

たまたま、IODAはロングテールの素晴らしい例だ。IODAはIndependent Online Distribution Allianceの略で、インディペンデントな音楽アーティストがiTunesや他のデジタル音楽サービスに彼らの曲を提供しやすくしてくれる。これらのサービスは何千ものインディペンデントなレーベルと直接交渉をもたがらず、レーベルは(多くの場合あるバンドのビジネス面だけを担当している)これらのサービスとどのように働いたらいいのかわからない。

IODA, CDBabyThe Orchardのような会社を商業世界と非商業世界のミスマッチの障害を繋ぐ権利関係のブローカーと考えられる。このように、彼らはヘッドとテールをつなぐ重要な役割を担っている。ロングテール製作者をロングテールのコンテンツのアグリゲーターに入れることによって、これらのブローカーはデジタル音楽サービスにおいてテールを生息させる助けをしている。テールのコンテンツがシームレスにヘッドのコンテンツと統合されれば、レコメンデーションや他のフィルターが次々と需要を生み出すことができるようになり、今まで過小評価されてきたニッチに対するマーケットを明らかにすることができる。

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2005年8月15日 (月)

"ヘッド主義(Headism)"の危険性

maxhead僕は最近、いくつかロングテールに関してのスピーチをパワーポイントを使ってやってきた。僕は実際パワーポイントをクリエイティブなメディアとして気に入っている(いくつかと比べるほどではないけど)。なぜなら主にビジュアルだから(もしくはうまく言った時にはそうなるべき)で、主にテキストであるブログをうまく補完してくれる。でもスピーチは全ての人に届かないので、このポストはそのハイブリッドを作る試みだ:ブログポイントかな?どちらにしろ、ほとんどグラフで、ちょっとナレーションが入っている。

これらのスピーチでは"ヘッド主義"の危険性、需要曲線のヘッドを支配する経済的誘因その他がテールの下にも同様に適用できるという間違った思い込み、を繰り返した。これは良くある間違った認識で、人々がブロガーに彼らのオンライン活動(もうすぐ出るベストセラーの本へつながる以外はね)からどのようにお金を得るんだい、と質問するのに似ている。

長過ぎる間、僕らはエンターテイメント産業の経済をヒットとスター、スタジオとネットワークのレンズを通して見てきた。ロングテールが希少性の経済と古い配給システムにより隠されていた巨大で成長中のマーケットであると分かった今、僕らは商品が何であるかを理解しはじめて、この新しいマーケットの参加者とその動機もまた違うということも分かってきた。ここにいくつかの例がある;
products
1) 一度人々がヘッドから目を変えるようになり、カーブの遥か左側から注視するのをやめれば、ここ数世紀の間、僕らが主に注視していた分野が右側のニッチへフォーカスされ、はるか遠くへ行くだろう。そうだ、テールの向こう側の端は新しい草の根的な制作と自由化されたアーカイブの領域でいつかは何百万人にとってのマーケット場所となる。でも近い未来では、一番潜在性が高いのはその中間部分で、現在でもたくさんの商品価値のあるものに溢れているが、ただ単にその潜在的な需要を導きだす方法が見いだされていないだけだ。

地理的な圧力、棚スペースの有限性、現実世界の性能の悪い検索ツール、もしくはその領域において安いマーケティングを提供する口コミのネットワークがまだ形成されていないにせよ、ほとんどの商品は相応しいマーケット場所を見いだせていない。このカテゴリーはジェフ・ベゾスの言葉を借りると"ハード・ミドル"で、現在におけるロングテールの潜在的経済性がもっともあるところだ。
incentives
2)同様に、製作者やクリエイターたちの動機はヒットからニッチにいくにつれて変化する;マドンナはほとんどお金のためにやっているかもしれないが、僕が無駄に過ごしていた二十代にベースを引いていた時は明らかにそうではなかった。ほとんどの作家は一方で、読者を見つけるために本を書く、金持ちではない(これらの読者が金になる授業料、スピーチ、終身在職権などのコンサルタントに繋がることはあるかもしれないが;本は個人のブランドにとって強力なものとなる)。今いるインディペンデントな映画製作者は彼らの評判のためにBittorrentで自由に彼らの映画が広がってくれることだけを望んでいるだろう。

そしてさらに何千ものGaragebandリミキサー、ブロガーがいる。フラッシュ・アーティスト、ゲームのモッダー、そしてスケートボードのビデオ撮影家などがおり、彼らはそれができるからそのようなものを作る。強力なコンピューターとソフトウェアがインターネットの自由な配給と組合わさった時、今まで世界が出会ったことのない個人の表現のもっとも偉大なプラットフォームとインターネットは化すだろう。みんなスターになりたいわけではなく、昨今ではオーディエンスを見つけるために必ずしもならなくてはいけないわけではない。
status
3)ヘッドでは、彼らは日常の仕事を諦めてきた。中間の人達はより良い日常の仕事を求めているか彼ら自身の仕事を作っている。底では全く仕事ではない(少なくても今は)。

この構成を様々なメディアや業界で微調整してみると、マーケット場で全ての人々を非常に良く似ていて、質だけが異なるという思い込みは間違っているとわかる。無限に入手可能なマーケット場では、プロフェッショナルとアマチュアの線は連続的スペクトラムとなり、その間にたくさんのセミプロがいることになる。
ipprotection
4)知的財産権はおそらくヘッド主義によって最も歪められている箇所だろう。ディズニーとデイブ・マシューズ・バンドはできるだけ著作権を引き延ばそうと努力しているかもしれないが、他にたくさんP2P配信をフリーなマーケティングと見なしているアーティストや製作者がいて、PDFのダウンロードをインパクトとオーディエンスを増やすための方法だと考えている。

トップではスタジオ、メジャー・レーベルと出版社が猛烈に著作権を守っている。中間のインディペンデント・レーベルとアカデミックな出版社はグレーな領域だ。ある人は著作権のことを気にし、他の人は気にしていない。それにも関わらず、法律はそれら二つの間を区別しないので、それらのインパクトは法律の制限による希少性の効果で制限される。

さらにテールの下をいくと、もっとはっきり非商業的な領域になり、彼らの著作権の一部をクリエイティブ・コモンズのライセンスを使って明確に放棄しようとしていて、それは(彼らのとっての)自由な配信、リミキシングと他のアイデア、興味、名声のためにP2P普及の目的で行っている。上の目的全てのために、僕はこのブログのためにそれをやってきた

僕のプロフェッショナルな人生の一部では、僕は曲線のヘッドにいて、別の部分ではテールにいる。僕の知的財産権に関する決断はそれぞれで異なる。そう遠くない日に、マーケット場と法律が簡単にこの現実を反映できるようになればいいと思う。

(バークレーでコーヒーを飲みながら、このことを考えることを助けてくれたGlobal Business NetworkのAndrew Blauに感謝)

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ロングテールはゴミだらけか?

holdingnosehungrywrp人々がロングテールについて度々おこす間違いの一つはあまり売れないものは良く売れるものと比べて"それほど良くない"ということだ。別の表現をすると、彼らはロングテールをゴミだらけだと思い込んでいる。結局のところアルバム/本/映画/何であれ素晴らしいものはヒットするだろう?

まぁ、答えはノーだ。ニッチはメインストリームと別の経済で動いている。その理由でなぜロングテールのコンテンツは特に希少性の考えに慣れてしまった僕らにとって直感で分かるものではない、ということを説明するだろう。

最初にこれをはっきりさせておこう:ロングテールは実際ゴミだらけだ。だが洗練された深みのあるものもある--またその中間のものもたくさん。同じことがウェブ自体に言える。十年前には、人々はインターネットでたくさんのゴミがあることについて不平を言っていて、それは確かにちょっと見ただけで確認できた。そして検索エンジンがノイズからシグナルを検出するために表れ、やっとGoogleが来た。群衆の叡智自身を配置し直し、関係のないマスを今まで誰も見たことの無い神託に変えた。

店の棚かほかのどの有限の配給方法だと、いいものと悪いものの比率に意味はあった、なぜならそれはゼロサムゲームだからだ。あるもののスペースは別のもののスペースを消す。ある人が目立つことは他のものを目立たなくする。売り場にいいおもちゃ一つに対して十もの駄目なおもちゃがあれば、その玩具屋はあまり良くない店だと想い、あまり行かなくなるだろう。それと同じように、一回も聴いたことのないCDを次から次へと再生されても面白くない。

でも無限の棚スペースがあると、これが無限のサムゲームになる。何億もの駄目なウェブページはタワーレコードの棚におかれた何億もの駄目なCDほど問題にはならない。在庫品目は"張り合わない"ものでいいものと駄目なものの比率は単なるシグナル/ノイズ比に過ぎず、情報ツールで解決可能だ。

それはほとんど問題はないことを意味する。必要なのはより良いフィルターで、例えばレコメンデーションやいい検索エンジンだ。君のGoogle検索で10番目のスクーリーンとそれ以降が役に立たないことは関係ない、なぜなら1から3番目のスクーリンは使えるからだ。ノイズはまだそこにあるが、Googleは効率的にそれを無視できるようにしている。フィルターは最高だ!

次のものはそれをグラフで表現したものだ。ロングテールの下へいくほどシグナル/ノイズ比は悪くなる。よって君が望むものを発見できるための充分なシグナルを得られ続けられる唯一の方法は君のフィルターが強力になっていくことだ。
signalnoise_1
これがロングテールの違いの本質へつながる。これらは配給の障壁ろ必然的結果(編集者、スタジオ役員、A&Rらやウォルマートの商品マネージャー)のための要求からくる事前のフィルターをされていない。その結果、この世界の他のもの全てのように、それらの質はばらばらだ。

これを説明する一つの方法(シグナル/ノイズ比と同じような情報論の言葉を使う)はロングテールは質に関して"ワイド・ダイナミック・レンジ"を持っていると言える;ひどいものから素晴らしいものまで。それと比べて、平均的な店の棚は比較的狭い質に関してのダイナミック・レンジしかない(もちろん本当に素晴らしいものはあるが、それらの多くが平均的なリテールの棚には高すぎる;ニッチは質のスペクトラム両端に存在している)。

よってテールはワイド・ダイナミック・レンジを持ち、ヘッドはナロー(狭い)・ダイナミック・レンジを持つ。このようだ:
quality
注意したいのは、トップから底まで、曲線のどの場所でも高い質のものはある。確かにテールには低い質のものが多く、曲線を下へ行くほど質は下がる。だが、良いフィルターにとって平均など関係ない。ダイアモンドが全てで、それはどこでも見つかる。

終わる前に"高い質"と"低い質”いう言葉について話すべきだ。当然だが、これは全く主観的だ。ここに人々がコンテンツの価値を表す際使う言葉の例を出してみる:

"高い質"

・興味を引く
・良く作られている
・新鮮だ
・現実的だ
・説得力がある

"低い質"

・僕向けじゃない
・酷い作りだ
・新鮮でない
・表面的だ
・退屈だ

注意してほしいのは、これらは全て見る人の視点だということ;コンテンツの質を測る絶対的な方法を無い。ある人にとって"よい"のは別の人にとて"悪い"となる;実際、常にそうだ。僕はケイザ額の論文が好きだけど、Maximを好きな友人がいる。彼らは僕のものを退屈だと思う;僕は彼らのものを表面的だと思う(Jessica Albaの写真を除いて)。

これがニッチが違う理由だ。君のノイズは僕のシグナルだ。もしプロデューサーがあるオーディエンスにとって絶対的に正しいと思われるものと想定したら、それは定義上他の人達に間違っているものとなる。誰にでもアピールするものを作ろうと妥協すれば確実に誰にもアピールできなくなる--だから彼らはそれを最小公倍数的支配者と呼ぶ。

サウスパークは酷いか素晴らしいか?ネットワーク役員の数人は配給できるようになる前に、僕ら全てのためにその質問に答えなければならなかった。ケーブルはそのハードルを低くして、今ではNetflixとウェブがそれを押し下げている。ロングテールの世界では僕ら全員が自身のために質の問題に答えマーケットがそれをまとめる。

これら全てが、直感ではわかりにくい三つのロングテールの教訓になる。

1. ニッチのコンテンツはヒット・コンテンツより質が高くなる場合もある。
2. その中でどれぐらいのゴミがあろうとかまわない;良いフィルターでは質の平均的な値など関係ない。
3. 質の高いニッチなコンテンツにもっと金を払ってもいい、なぜならそのオーディエンスに本当に合っているから。

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べき乗法則入門

powerlawnonlog僕はClay Shirkyの素晴らしいべき乗法則についての以前の研究を再び読み直し、多くの人達がまだべき乗法則の正確な意味と、どのような状況で現れるかについて混乱していると感じている。

最初の答えは簡単だ;基本的にべき乗法則は右のようにy=1/xを持つ曲線全てだ。生物から本の売り上げまで、あらゆる所でべき乗法則は見られる。ロングテールは有限の棚スペースとチャンネルによる障壁で切り取られていないべき乗法則だ。

次の答えも簡単だ。べき乗法則は次の三つの状況に表れる。

1.多様性
2.不均衡
3.それらの違いを増幅させるためのネットワーク効果(例えば口コミ)

別の言葉でいうと、べき乗法則の分布は物事が違うところで、あるものはあるものより良く、ネットワーク効果がいいものを推進し悪いものを抑圧するところで表れる。この結果をVilfredo Paretoはマーケット、文化と社会の予測できる不均衡と呼んだ:成功は成功をよび、金持ちはさらに金持ちになるなど。言うまでもないが、この力は僕らの世界のごく一部を説明してくれる。

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バラエティー革命

postrel僕は前Reasonの編集者で文化と経済は形のモデルだということについて書いたVirginra Postrelがロングテールの近いいとこである"バラエティー革命"を年代順に記録したことを嬉しく思う。彼女はバラエティーと選択肢のカテゴリーを含むウェブサイトをアップデートして、現在ではこの話題についての1998年からの書き物も含んでいる。彼女はこう記述している:

"バラエティー革命"はここ十年間でもっともでかいビジネス話だ。生産と配給のイノベーションにより、今では消費者はスーパーマーケットでの新鮮な野菜からNetflixのDVDまで、以前より遥かに多くの種類の商品とサービスの選択肢がある。私はバラエティー革命を可能にした運営方法、消費者にもたらされた心理的な課題、そして将来のビジネスモデルと個人的な楽しみ両者にとってどのような意味を持つのかを探求している。バラエティー革命は経済の話だけど、多元的共生と個人の違いをどう考えるのかという幅広い関わり合いも含んでいる。

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USAトゥデイのロングテール特集

insideramsayUSAトゥデイは最近ロングテールにフォーカスした対談を開いて、見開き二ページにそのハイライトを載せたものを先週出版した。そこではTiVoのCEOのMike Ramsey、ベンチャー・キャピタリストのRoger McNamee、Firefoxの共同開発者のBlake Ross、そしてラッパーのチャックDだ。そこから一部を抜粋する。

Mike Ramsey:

僕らが発見したのはテレビを生で見る人たち-プライムタイムか家にいる時だけテレビを見る人-は見たいものだけをピックアップする選択肢がある人たちと全く違う視聴傾向があることだ。

選択肢を与えられれば、人々はより多様なものへと移動し、何をしなければいけないかというと、その人達が限定されないようにあらゆる種類の番組を用意しなければいけないことだ。そうすれば難解な、専門的な番組でさえメインストリームのものぐらいでかくなる。

Roger McNamee:

中間の人達は僕らが何で楽しむかを決定する権利を持とうとしてきた。彼らは何がヒット、何がヒットではないかの支配者だった。ロングテールの素晴らしいところは消費者が彼らが何をほしいのか決定できることだ。中間の誰かなんて必要ない...何が間違っていたかを言えば、資本、金がいつも配給を制限していたことだ。僕の会社が存在している理由はそれを変えることで、資本をコンテンツとクリエイティブな人達に与えることだ。

まだ始まったばかりだが、じきに製品を提供するところのAkimboと呼ばれるものがある。その最初の番組はヨーロッパからのサッカーだ。インドや今まで衛生やケーブル上で充分な視聴者がいなかったが、インターネット上では充分大きな視聴者がいる、入手が不可能だった他の文化からのものを扱うことになっている。

業界のリーダー達がロングテールを理解して、それを実践していることは素晴らしいだけでなく、USAトゥデイのような主流の出版物でここまで洗練されたレベルで議論されていることに満足だ。これは正しい出席者を正しい議題に配置し、正しい質問をしたKevin Maneyの賜物だ。そして特別に称讃したいのは的を得たサイドバーのロングテールの定義だ:

去年の秋、Wired誌は"ロングテール(The Long Tail)"と呼ばれる流行を扱って、それ以来テクノロジーとメディア周辺でこの言葉は大きな話題を呼んだ。基本的にロングテールはほぼ無限の選択肢がある時代に、多くの消費者が最も人気のあるマスマーケットの商品に飛びつくのと同時に、同じぐらいの人達が少ない人しかほしがらないニッチマーケットに移行することを言っている。

Amazon.comとiTunesの時代の音楽で見てみよう。音楽を買う多くの人達が最新作をほしがる。でも、それと同じぐらいの人達があまり知られていないアーティストか古い音楽を買う - レコード店は置けないが、オンライン店だと提供できるものを。この全ての小さいマーケットでニッチな音楽はロングテールを形成する。

ここ数年間までは、マスマーケットのエンターテイメントは業界を支配してきた。新しいデジタル時代では、ロングテールはそれに匹敵する強い力となっている。

僕は思うんだけど、同じ週でのThe Economist誌とUSAトゥデイでのフルページでの扱いは、ミーム的なハットトリックみたいなもんだと思っている。どちらが嬉しいかは判断しかねるね。

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2005年8月11日 (木)

エリック・シュミット、ロングテーラー

先週のGoogleの始めての株主総会でCEOのエリック・シュミットはGoogleの使命をなぜ"ロングテールに使える"と呼ぶのかを詳細に説明した。

彼はこのスライドを見せながら始めた:
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そしてこのように説明した:

”去年、我々はマーケットを見渡して、こう自答した:僕らは順調か?広告主を見ると、我々のマーケットで巨大な企業-ウォルマート-から本当に小さい企業、そして個人に至るまで、どのようにやっていけばいいのだろうか。我々はこれをロングテールと呼ぶ。多くの人達がこれについて話してきた--これはとても面白いアイデアだ。

これを見ると我々は今まではこの中間まではうまくやってきた。良く運営された、ミドルサイズのビジネスで、賢い人々が興味深い問題を解くことについて。でもとても大きな利用者に大してはどのように我々はやっているだろうか?だから去年、我々は巨大な広告主に対して全ての部門で多くの利益を生み出せるように丸ごと使えるスイートを用意した。なぜなら我々のモデルでは広告は予測可能性であり、換算できたりするからだ。

それと独立した貢献人、スモールビジネスでジョーやボブが同時にCEO, CIO, CFO、働き手、サポート人である企業--一人、二人、三人などでやってる企業などは?我々は小さな、セルフサービス・ツールを用意して、彼らがほとんど自動的にこのサービスを使えるようにした。

よって我々は去年両方向に向かった。あらゆる方向にトップにいくことによって、我々はとても大きいが歴史的に充分サービスを受けていないビジネスと共にこれらのオンラインサービスにアクセスを持ったことの無い領域をも捉えることができた。”

この話の主な点は曲線の両端を扱う重要性で、次の投稿で詳しく説明する課題だ。

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2005年8月10日 (水)

ロングテールの起源

longtailboat偉大なアイデアの兆候は人々がそれを絶えず知っていたかのように感じることだ。それは少なくとも、僕のオリジナル記事より前にロングテールのコンセプトがあったということを言ってくる時に僕に言い聞かせる。これは最初にウィキペディアのロングテールについてのエントリーから始まり、再びエコノミスト誌のTom Standageと話をした時に浮上してきた。ここで起源を説明し、ここでこの問題を終わらせたいと思う。

べき乗の法則(とその他)の分布が"ヘッド"と"テール"を持つことは特に新しいことではない。またあるテールは他のより長いということも別に新しいことではない。実際僕の記事が出た2004年9月以前に、統計学の文脈で"long tail"で検索した場合(長い尻尾を持つ動物とロングテール・ボートを除いて)、長い尻尾を持つ曲線が表示された少ない数のレファレンスしか出なかった。でもテクノロジーにより生み出された豊富性ブームと関係のありそうな話で唯一のものはブロゴスフィアのべき乗法則の分布についてのClay Shirkyの2003年のエッセイだ。

Clayの画期的なべき乗法則の研究に知性を借りている僕として、彼がウィキペディアのエントリーの議論にコメントを載せてくれて嬉しかった。彼はこう書いている;

"僕の役割だが、"べき乗法則、ウェブログ、そして不均衡"で僕がその言葉を使った時に、それを新造語だとは全く思わなかった--線形分布にはヘッドとテールがありウェブログのテールは平べったい...クリスと僕と他の多くの人々はある特定の分布を説明する時にそのフレーズを使うが、クリスがそれをTipping Pointの方向に持っていった、関連した複雑な問題に魔法をかけるフレーズだ、特に僕が考えていなかったメディアと文化のビジネス的側面に。僕の見解では、クリスがその提唱者として認識されるべきだ、それはフレーズに対してではなく、現在での使い方とその活況さに対してだ。”

正確に言うと、僕が新しく作り出したのは、テール自身を新しいマーケットとしてみなす概念だ。適切な言葉("The"を含む)の使い方は偶然ではなく、本質的に僕たちは歴史的にマーケットで曲線のヘッドを孤立して観察してきて、今では右のほうに注視してテールを別のマーケットとして見ることができる。

二つのマーケットの概念--ヘッドとロングテール;一つは慣れ親しんだもので、もう一方は無視されてきたが今では新興のものだ--は今、主題の核になっていて、僕が使ってきたロングテールを説明する。この反響に対する感覚を得るために、long tailの検索で、2004年9月15日以前(検索結果1,570)とその後(検索結果619,000)を比べてみるとよい。長い尻尾は新しくない;The Long Tailはそうだ。

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ブロゴスフィアの第一のルール...

fight_club...はブロゴスフィアを一般化することではない。ブログが何であれ何でないかの記事を読む度によく思い起こされる、今日のニューヨークタイムズのAdam Cohenのこの記事のように。

Jeff Jarvisが詳細にCohenの記事を否定しているが、これが僕に取ってのキーポイントだ:

彼はまたブログをジャーナリズムみたいな制度に還元しようとしている。でもそうではない。ブログはみな独立している。

ブログの中でも責任あるものと無責任なもの、ジャーナリスティックなものとそうでないもの、男が支配されてるものと女が支配しているもの、不機嫌なものとまじめなもの、また表面的なもの、模倣的なもの、深みと学識あるものでプレスすら赤面せざるを得ないようなものまで。

簡略すると、ブログはロングテールで、そのロングテールのコンテンツの質と本質を一般化するといつも間違いを犯す--定義としてブログは変化し多様なものだ。

人気のないものが良くないという思い込みは古典的な迷信だ;実際、テールのコンテントはよくヘッドのコンテントより質が高い、なぜなら単純に妥協をしらないからだ。ある人々に完璧に照準されたコンテントは定義として、他の人々にとっては間違っている--そしてそれは問題ない。

ヘッドのコンテントは僕らが同じである領域に満足を与えてくれる(美しい、才能ある人々を観ること);テールのコンテントは僕らが違うという領域に満足を与えてくれる(リモート・プログラムされたDVRについて話すオタク達を観ること)。僕はどちらかというと後者の方を観ることを好むけど、ロングテールの美しいところはオタク達のほうが作る価値があるということで僕に同意する必要なんてないってことだ。多様性万歳!

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BOLLYWOOD(インド映画産業)の散らばった需要

bollywood僕はよくインド映画産業を完璧なロングテール候補だと指摘してきた。毎年、Bollywoodは最低800本もの映画を作っている。アメリカだけで、一世と二世のインド人世代だけで170万人いて、多くの人達がヒンドゥー語(Bollywood映画の主言語)を喋れる。

それにも関わらず、その中で数本しかインド映画を上映したいと考えているアメリカの映画館に配給されない。そこに巨大な視聴者の潜在性があるにも関わらず;どこだろうと都会のインド人コミュニティー以外の場所では満員にはならないだろう。これが人口統計の過酷さだろう;従来型の配給では消費者が地理的に集積していなければならず、普通はニッチな商品には当てはまらない。別の選択肢は街角のDVDレンタル店で、インド映画に特化している店で、大体はインド人の界隈で営業しており、未だに潜在的なマーケットに貢献できているとは言い難い。

僕がこれを上げるのは、NetflixのニューリリースのRSSフィードで多くのヒンドゥー語の映画が現れるからだ。チャックしてみた所、現在600以上ものBollywood映画のDVDがあり、フランス映画の在庫の二倍だ。もしくはBollywoodに特化したオンライン店より多い。

Netflixがロングテールを掴んでいるもう一つの証拠を。以前僕は彼らが40,000タイトルの在庫を保有しており、各四半期ごとに98%が最低一回はレンタルされているということを指摘した。それは偶然にもEcast(デジタル・ジュークボックス会社で十八ヶ月前にこの会社のCEOの長い、長いテールについての観察にぶっ飛ばされた)で毎月レンタルされるトップ10,000の音楽作品のパーセンテージと同じだ。いい感じだね。

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テレビを見なくなった若い男性

マス文化からニッチ文化へのシフトに関するデータに関して、Nielsenの数字によるとネットワークテレビがやはり若い男性を急速に失っていることが確認された。九月四日から四月五日の期間で、18-34歳の男性のブロードキャスト(ネットワーク)テレビの視聴率は7.8%下がった。

彼らはどこに行ったのだろうか?広告でサポートされているケーブルテレビ(例えばコメディー・セントラルとカートゥーン・ネットワークなど、HBOなどのプレミアムチャンネルではない)で、同時期で5.3%の増加を示した。そしてビデオゲームで、驚異的な16.7%の増加を示した。
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ソース:Nielsenメディアリサーチ

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2005年8月 4日 (木)

エコノミスト誌がロングテールを扱っている

economistTom Standageは今週The Economist誌にロングテールについて素晴らしい記事を書いている。もしTomの著作、The Victorian Internet: The Remarkable Story of the Telegraph and the Nineteenth Century's On-Line Pioneersと最新のA History Of The World In Six Glassesをチェックしてみてくれ。ここに最新号の彼のEconomist Focusコラムからの抜粋を置く:

おそらくロングテールの的を得た意味は、ポピュラーカルチャーに対するインパクトだ。選択肢が拡大して、人々がもっと簡単に彼らが興味のあるニッチコンテンツを探せるようになるに従って、ヒットの重要性は低下する:すると人々がウォータークーラーの周りに集まっている時に何の話をするのか?実際に、Mr.アンダーソンは共有されたポピュラーカルチャーの考え方は比較的最近の現象だ:ラジオとテレビの時代の前、国々は"文化的行進"で機能していなかった。そして共有された文化の概念はすでに消え去ろうとしている、ケーブルテレビと別の形での市場の分裂のおかげで。ロングテールはただ単に効果を加速させるだけだ。ブロックバスター映画、アルバム、本は残るだろうが、その数は減少するだろう。Mr.アンダーソンは繁栄する企業は"最小公倍数的な支配者モードを消し、どのようにニッチを扱うかを見つける企業だろう"と言う。

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三体問題

threebody(パンク・ロック・バンドとエコノミスト誌のどこかの間の)前世で、僕は物理学者になるためのトレーニングを受けていた。数学が、次第に節だらけになるに従って、僕らは三体の惑星や他の質量を持つ物体の重力の相互作用をコンピューティングする挑戦である"三体問題"に遭遇した。これは事実上解くのが不可能だけど、後の人生で使える手軽なメタファーだと証明してくれた。今のように...

みんなが気づいている通り、僕は三週間の間ポストし損ねた(サイドバーは追加したけど)。理由は僕は自身の三体問題を抱えているからで、その三体の中で仕事(Wiredの編集)、本、そしてブログ(それぞれの重力引力を持っている四つの体の家族を除いて)。三つのうち二人はフルタイムの仕事でそれにブログをゼロサム的に当てはめていく方法を見つけなければいけない。

本当はこれはそんなに難しくないはずだ;このブログは本についてで、結局僕の希望では本がそれ相応のスピンオフすることだった;タンジェントをサイドチャンネルの議論と過剰物が充分なポストを提供することだ。実際今までそうだったし、これからもそうだろう。でもWiredが月のサイクルを持っており、その締め切り前二週間は最大の生産量が必要だったし、本書きは植えて刈り取るサイクルがある。ここ一週間は植える時期だった。

今では、僕は膨大な調査の時期に入っている。たくさんのインタビューとデータの情報交換、編集と分析。いいニュースとして両方ともうまくはこんでいることだ。昨日は特にデータに関しては画期的な日だった。今はまだ取っておくけど、基本的に音楽に関して二つの確かな(20,000+タイトル)データセットで、一つは伝統的なリテール(棚スペースの希少性と弱い検索機能)と一つはオンラインだ(巨大な在庫商品と良質なフィルターとレコメンデーション)。

僕の主題はロングテールビジネス(巨大なバラエティー+良質なフィルター)がもっとフラットな需要カーブを描く可能性があることで、それによりヒットとニッチのバランスがよりとれる。そして語るも不思議だけど、このデータ分析が正にそれを示した。同じ在庫商品でも、二つのデータセットが標準化されれば(ヒットが同じレベルにセットされたら)、オンラインビジネスが二倍のニッチに対する需要を示した。トップ1000に対して同じ売り上げだったが、オンラインのデータは次の19,000に大しては50%もの売り上げ増があった。

よってロングテールはヒットからニッチにシフトさせることを理論的か人に聞いた感じだけではなく、今ではそれを統計的に示せる。次はこれを別のマーケットに示せたらいいと思う。オスロが待っているぞ!

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2005年8月 1日 (月)

FAQ:LTの台頭=マスカルチャーの衰退か?

watercoolerロングテールはヒットからニッチへのシフトについてだ。多くの読者がこれがアメリカのマス(ヒット主導、メインストリームの)文化の未来にどのような意味を持つのかを聞いてきた。簡潔な答えはマスが衰退するだろうということではなく、これはすでに水面化でおこっている現象ということだ。

マス文化を定義することから始めよう。良く用いられているのが"ウォータークーラー効果"で、共有された文化イベントがオフィスの中で話されていることで、The Apprenticeか最後のスターウォーズの公開であれなんでもいい。そのようなイベントの数は主にテレビの視聴者の分裂により引き起こされていることにより年々減っている。

ケーブルテレビは同時に放送される番組の数の爆発的な増加で引き金を引いて、すぐにアメリカの視聴者の半分がケーブルへ移って、今では300近くのネットワークに散らばっている。TiVoとその他にDVRの登場は時間の制限を取り払うことによってこれを増幅した。今日、人々が同じ番組を観ていたとしても、同じ夕方に観ているとは限らない。誰が番組のサプライズをバラしてしまうリスクを負って、リアルタイムで観た人の要約を聞きたいと思うだろうか?

結果的に多くのアメリカ人が夕方に同じ番組を観ていた時代は遥か昔のことになってしまった。一つを除いて一番視聴者がいたテレビ番組は70年代後半から80年代前半にかけてのものだ;新しいものは1994年の冬季オリンピックで、それも10年以上前だ。現在のもっとも人気のある番組は20年前ではNielsenスコアでトップ20にすら入らないだろう。

同じようなことが音楽にも言える。僕の計算では、ここ10年でリリースされたアルバムの中で、もっと売れたアルバムトップ100に入っているのは10枚だけで、ここ5年でリリースされた中では4枚だけだ。Occamgが言うにはこれはヒット製造機としてのラジオの力の衰退によるもので、何かしらのダーウィン的な音楽の才能の減少ではない。1993年には、アメリカ人は平均して一週間に23時間15分をラジオに費やした。2004年の春ではそれが19時間15分に減少した。アメリカのトップ40は以前程意味を持たない。

よって、仕事場で見られた唯一パーソナリティーの類別の文化的な境界線を飛び越えたオフィスのウォータークーラーの代わりに、僕らは自らの住み分けを持つようになった。僕の住み分けは"all your base"のミームを全てをピックアップしたかもしれないけど、君の住み分けではステロイドのスキャンダルに入れ込んでいたかもしれない。現在では僕らのウォータークーラーはバーチャル化していて、そこに集まってくる人達は自ら選択した人達だ。僕らはマスマーケットからニッチ国家へと転換している。

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