幾分か前、僕が理解している限りロングテールとはほとんど関係のない現象についての洪水のようなとりとめの無い話に苛立って、僕は無愛想なタイトルの"ロングテールではないもの"を投稿した。僕はロングテールの例として、サブウェイのサンドイッチに関しての可能なトッピングの様々なものを記述した投稿を取り上げることから初めた。それはちょっと不公平だった、なぜならそのサブウェイの投稿は半マジメだけであり、そこらへんにもっととんでもない違反者がたくさんいたからだ。でも僕の幅広い指摘は重要だった:ロングテールはどこでも見つかる、でも知っての通り、どこにでもという訳ではない。
CapGeminiのイノベーション・コンサルタント業のChris Bertelliはとっても思慮深いコメントをその投稿へコメントをしたので、それをそのままここに僕のコメントと共にコピーする:
一ヶ月後のtrendwatching.comでのちゃんとした"Nouveau Nich"仮説を引用しないのに、彼のサンドイッチの例で彼を貶めるとは残酷だね。サンドイッチの例は少なくても例として、棚スペースと配給の経済を当てにしてた(VS. スーパーマーケットの事前に包装されたサンドイッチ)。Nouveau Nichはそうではない。
Nouveau Nichの仮説は人々が増々マスマーケットの商品を避けると提案しており、なぜなら彼らは増すで、ニッチ商品を探している、なぜならマスと異なるようになりたいからだ。違いはそれ自身ポジティブな特質となる。このトレンドはインターネットその他による製造、マーケティング、セール、もしくは配信/配給の変化とは関係ない。Nouveau Nicheは好ましくない経済に対してさえ励ましせきたてる可能性があるとしている-人々は違うものに対してより高く払うようになるだろうと推定される。Nouveau Nichは確かにロングテール・ビジネスのためになるが、この二つの現象は全く違う起源を持っているようにみえる。
僕はそのトレンドウォッチのエッセイの公平な読み方は、ニッチの制作コストとそれを消費することのコストの減少両者がNouveau Nicheの大きな部分だということに着目するだろう。ある人はこう引用した:"新たな制作仮定、マス(!)な配信、テクノロジーとコミュニケーションのチャンネル、全てがグローバル経済におけるスケールと範囲を可能にしており、実質的に全てが作られ、ブロードキャストされることを可能にしている、どんなものでも。"。だがここでBertelliのコメントに帰ろう:
またあなたはカスタム化の組み合わせはロングテールとは異なると言った。でももしサブウェイで売られている種類全てをグラフ化して、べき乗法則の分布が出てきたらどうだい?サブウェイはおそらく、もし事前に準備された十種類のサンドウィッチを用意したものより、カスタム化されたほうが多くを売り上げているだろう。これはロングテール商品戦略の驚異的な例ではないかもしれないけど、それを冷笑するのは間違っているかもよ。
トッピングの選択としてべき乗が得られるということに関しては彼は正しい。けれど、僕が使ってきた例はべき乗法則だけではなく、ニッチへリーチする経済的なコストの変化が変わったことにより、べき乗法則のテールが遥か遠くへいくことを可能にしたという例もある。ヒットもべき乗法則のテールを持っていることを思い出してくれ:これは全体のコストがマイナスになるところで切り取られているに過ぎない。もしサブウェイがサンドウィッチの作り方の経済を改良することができれば、メニューにもっとたくさんの選択肢を追加できるだろう。僕はロングテールのライトについてもっと取り上げてみたい。
インターネットで事業を始めようと思っていない人達のためにロングテールに関して書いている時に、この疑問が思い浮かんだ。彼らは既存の企業で、ものを作っている。彼らにとってロングテールは意味するかどうかどうやったらわかるのか?特に、ロングテールの商品戦略がメディア産業の外でどのように適応できるかについて考えている。
The Boston Globeはスーパーマーケットの棚における商品の選択の増大についてのコラムを載せていて、ロングテールは律儀に引き出されていた。これを君はまた悪用かと思うかもしれない。制作/マーケティング/販売/配給の経済は変わっていない。スーパーマーケットにおける棚スペースはいつものことながら有限である。Globeのコラムは"選択の苦しみ"の類いへと収束しており、なぜ制作側が様々な種類の商品を追加するのかという質問へ移った。そのようにアグリゲートされた方が売り上げが良いのか?彼らは意地悪なので、僕らを苦労させているだけなのか?おそらく巧者だ。Proctor and Gambleは結局悪魔なのだ。
あいにく、スーパーマーケットにおけるバラエティーブームに関しての章を書き終えていたところだ。そこでは僕は愉快に"選択の苦しみ"論を叩いた、特にアカデミックな近視眼について。実体は、人々はブランド、習慣、価格感度とプロモーションの間で、ストレスなしに巨大な選択肢の中で舵取りするために準備することができる。企業は増々彼らの商品ラインをうまく切り取って、消費者のグループのコモディティー化をかわし、利益を上昇させ続けることができるかもしれないけど、もし人々がそれに対してもっと買うことにより反応していなかったら、そのトレンドは遥か昔に終焉していたかもしれない。
その号のGlobeでの関係のないコラムで、Alex Beamはコーラの現存する14種類について愚痴をこぼしていた。(ロングテールへの言及はなかった--はっは!!)。コーラはバカではない。棚スペースを独占しようとしているか、このニッチなバラエティー戦略が一定の棚スペースにおいて彼らの売り上げを伸ばしているのかだ。それに反するポイントとして、僕はNew Yorkerの増大する(ロングテールと親和性の高い)DVD Vs. (ロングテールに都合が悪い)ボックスオフィスの映画産業の商品戦略に関するJames Surowieckiの記事について考えた。それはロングテールが実際、制作側の振る舞いをどのように変えるかという素晴らしい例に見えた- これから開始する人達にとって以上に、どのように既存のビジネスと関係を持つのかについて。
よって...映画業界はニッチ商品に対して戦略を変えてきた、なぜならそっちの方がお金になるからで、それはロングテールだ。コーラはニッチ商品に対して戦略を転換している、なぜならそれでお金になるからで、それはロングテールではない。んー...なんで違うのか?なぜならコーラの数に比べて映画の数は4桁多いからか>それは数が種類の違いと等しいと言う、いつもながら疑わしい前提で、ミクロテールについて語る時は特にだ。コーラの類似品の売り上げは適度なべき乗法則の分布を形作るかもしれない。おそらく"ヒット"(オリジナルのコーラ)が人々をニッチへ牽引したと言えるかもしれない、同じラベルの棚にそれらを置くという単純な検索機能によってね。
繰り返すが、テールの長さは関係無い。重要なのは新しい経済による可能になったテールの長さの変化だ。それは戦略の転換の問題だけではない;それは商品が作られ、売られる構造的な変化も必要としている。もしコーラが製造と配給に関してニッチの経済性を高める変化を伴っていたら、それは簡単にモデルにフィットしていただろう。
映画産業の例はマーケティング、セールスと配給の変化に牽引されている。コーラの例はもっとNouveau Nicheに関するもので、コーラとTabを提供すると同じかより悪い。それが違いなのか?ニッチ市場は消費者牽引型(売り上げの増大)だけなのか、配給モデルに変化なしでは、ロングテール村から阻害されてしまうのか?
まぁ、その両者は手を取り合っている。小売りの切り捨てライン(置く価値のある売り上げの数)は大抵経済の問題で、位置づけではない。今まで2種類しか提供できていなかったのに20種類提供したいということは簡単だが、その余分の棚スペースはどこからくるんだ?選択肢が増大するにつれ、在庫の管理は同時に複雑になっていき、商品の種類増大するにつれ予測しながら製造するのがますます難しくなる。
別の言い方をすると、ニッチ・マーケティングは言うのは簡単だ。でも、製造、配給、そして販売するもっと効率的な方法が伴わないと、実行するのは難しい。
僕はロングテール正誤局を運営しているわけではないので、誰かを認定したり不認定したりする役割を負わない。でも、これだけは言っておこう;ニッチへリーチする経済性が改善されていないどんなロングテールの主張は疑問を持って見るべきだ。
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