Q. 何で人々はWikipediaやGoogleやブログっていうもの全体に対して居心地の悪さを感じるのか?
A. なぜならこれらのシステムは馴染みにくい確率(統計)論的に動くからで、マクロスケールの最適化のためにミクロケールにおける完全性を犠牲にしているからだ。
Q. はぁ?
A. 正にそれだ。僕らの脳は統計や確率に基づいて考えることに慣れてない。僕らはある百科事典のエントリーが正しいか間違っているかを知りたい。僕らは賢い手(あわよくば人間の手)がGoogleが出した結果を導いているかどうかを知りたい。僕らは自分が読んだものが正しいと信じたい。
いわゆるプロ - 編集者、大学の教授、ジャーナリスト - があるモノを見せている場合、少なくても正確性を期すのはある人の仕事次第だということに僕らは気をつける。だけど、僕らは増々誰も手網を引いていないシステムに依存してきている;知性とは単に創発的(emergent)なものだ。これらの確率論的なシステムは完璧ではないが、時間や大きな数字に対して統計的に最適化されている。それらは大きくなり、サイズが大きくなるに従い改善されていくように設計されている。そしてミクロスケールにおける小さな傾きはマクロスケールにおける効率の代償となっている。
でも明らかに間違っているように思えるのに何で正しいってことがあるんだ?
ここで擦り合わせがある。この交換条件はなかなかわかりにくい。僕らが未だにダーウィンについて議論しているにはワケがある。そして、なぜJim Suroweickiのアダム・スミスの見えざる手についての本が、この偉大なスコットランド人の死から200年経った今でも、未だに驚くべきものであるのか(そして未だに書かれる必要があるのか)にもワケがある。マーケット経済と進化論は両方共、確率論的なシステムで、僕らほ乳類の頭には直感的にわかるものではない。頭のいい偉人がこれらに気づいて、株式市場からGoogleまで、現代の経済の基礎を築いた事実は僕らの頭のソフトウェアはハードウェアより早く進化したという証明に過ぎない。
確率論的なシステムはケビン・ケリーの言葉を借りると"out of control(コントロール不能)"だ。同名の彼の影響力のある本は、民主主義から鳥の群れまで、カオスに行き着くにつれ、エントロピーの矢印を逆転させているかのように見える例を次から次へと出す。この本は12年以上も前のものだが、今から何十年後でもまだ驚きを発見できるだろう。だが、それで正しいのだ。
ウィキペディアは"権威がある"のか?まぁ無いだろう。だが権威とは一体何だ?Britannica (ブリタニカ百科事典)は平均的に学位の高い人達のより小さいグループでレビューされている。もちろんブリタニカはウィキペディアに比べると無価値なものやでっち上げは少ないだろう。だが、どちらにしろ絶対信頼できるものではない;実際僕らが信頼しているよりブリタニカは遥かに欠点がある。
ブリタニカの最大の欠点は切り捨てによるもので、(編集者に)委託されているという点ではない。いくつかのカテゴリーでは内容が薄く、多くのカテゴリーでは古すぎる。そして多くのエントリーが単純に無い - あるいは編集上の都合で入れることができない。今ではWikipediaは英語で860,000の記事を掲載している - ブリタニカは80,000でEncarta [訳注;マイクロソフトの電子百科事典]は4,500だ。これからもこの差はさらに広がっていくだろう。
確率論のシステムのいいところは群衆の知恵の恩恵を受け、結果、幅と深み両方を増大させることができるからだ。だが、それはミクロスケールにおける絶対的な確信を犠牲にするので、全てのエントリーを話半分で見なければいけない。Zephoriaがこの記事で指摘している通り、ウィキペディアは"情報の一次ソースであるべきであって、最後のソースであるべきでない。情報の調査のためのサイトであるべきであって、事実を確定するソースであるべきでない"。
同様のことが、どれ一つとして権威付けられていないブログにも言える。この投稿で指摘した通り、"ブログ(達)はロングテールであり、ロングテールの質やコンテンツの性質を一般化するべきではない--定義上ブログは変化し多様である"。だがそれらの集合体は主流メディア以上のものを提供する。何か決めつける前に、どれでもいいから二つ以上のブログを読むべきだ。
同じことが神にも不可解なものにも見えるGoogleにも言える。僕らが把握できないスケールの数学から自然と現れ来る故に、僕らでは理解ができないコネクションを作るGoogleは、恐らく間違いなくウェブの巨大な統計をDNAにしっかり巻き付けて、直感的には理解できない知能を備えて生まれてきた最初の企業だ。だからこんなに成功しており、誰にも止められないように見えるのだ。
Paul Grahamはこれを次のように美しく表現している:
"Webには気性があり、Googleはそれに乗っかった。だから彼らの成功は楽に見えるのだろう。彼らは出版メディアのようにビジネスモデルを繰り返しながら止まっている代わりに、あるいはマイクロソフトのようにカスタマーに訴訟をおこし向かい風にタックルする代わりに、風に乗って航行している。Googleは自分たちのやり方を実現しようと力を加えようとしない。彼らは次何が起きるのかを見極め、時が来たらその場所へいるように準備をしているだけだ。"
Webは巨大な数字に支配されているアイデアの究極のマーケット場だ。Grahamが見ているものは統計学のよろめきで、巨大なシステムが理解できる唯一のロジックだ。もしかしたら僕らもいつか理解できるようになるかもしれない。
[アップデート:Nicholas Carrは信頼できるテクノ懐疑主義者のボスCliffor Strollの遺伝子を受け継いでいるのか、とってもクレバーで良くかけた返答をここに書いている。]
[訳注:梅田氏のNicholas CarrとChris Andersonのエントリーを対比させ、Web 2.0が嫌われる理由を考察したこのエントリーも興味深いのでどうぞ]
[訳注2:上のエントリーのトラックバックから辿り着いたこのエントリー。確率論的な世界に生きる人間の不安を鋭い感性で綴ってらっしゃいます。]
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