先週、メディアの世界で注目するべきだったのはニューヨークで開催された2005 SIIA Information Industry SummitのMichael Wolffのキーノートでの発言だった(暴露:MichaelはWired誌の姉妹誌のVanity Fair誌のメディア・コラムニストだ)。議論を呼ぶ物だった(どれほどだったかと言うと、報道によると彼はオリジナルで投稿されたものを取り除くよう要求した)、なぜならメインストリームのメディアが直面しているチャレンジについてのとっても頭のいい観察の途中で、彼はウォール・ストリート・ジャーナル誌に強打を食らわせたからだ、オンラインのコンテンツをサブスクリプション(購読)の壁に押し込んで、流通を失ってしまったと文句を言って。
僕はしかしながら、それを全く別の理由から面白いと思った:悪名高い"終焉論"だ。
筆記物から、質疑応答ではWolffはConsumer Reports誌も同様にウェブサイトへのアクセスに課金することによって、消費者の反対で苦しんでいると忠告している。"以前はオピニオン・マーケットで確かな地位を築いていたが、今では辺境(marginal)みたいなの地位にいる。"と彼は言った。"辺境"とは"事実上死んでいる"と同じ意味を持ち、Wolffが頻繁に巧みに使う言葉の代表格だ:彼の最新の本は結局"Autumn of the Mogulus"だ。
質問者はそれに対して、彼にこう質問し、その返答はずっと納得のいくものだった:
出席者:Consumer Reports誌はほぼ200万人のサブスクライバー(購読者)がいて、僕は疑問に思うんだ。コンテンツに対して払うことが価値を下げる...そのことについて。ちょっと丁寧に説明してくれないか?
Wolff:まぁ、僕はConsumer Reports誌が一時期、製品評価について本物のブランドだと思っていた。だから君らはこう言ってた”Consumer Reports誌をチェックしな"って。でも、今何かを買おうとしたら、"ウェブをチェックする"だ。Consumer Reports誌がビジネスを行ってないというわけではなく、製品評価の雄としての地位を失ってしまったってことさ。
実際、Consumer Reports誌は400万人のサブスクライバーがいると言っていて、誰が見ても辺境ではない(僕は雑誌は見ずに、26ドル/年で素晴らしいウェブサイトを見ているけど)。Vanity Fair誌だろうがWired誌だろうがそれぐらいになってくれればどんなに嬉しいか。でも僕はWolffが言わんとしていることがわかる。彼の文句を理解するには、この世には三種類の人間がいることを理解しなければいけない。サイエンス・オタクとして(訳注:彼は物理専攻で元ロスアラモス研究員)物理学の用語で説明しよう:
A)止まっている人(Position People)
B)速度の人(Velocity People)(一次関数)
C)加速度の人(Acceleration People)(二次関数)
カテゴリーAの人はこう考える:"400万人の人は一杯だ。Consumer Reports誌は正しい事をやっているに違いない。”
カテゴリーBの人はこうだ:”以前は420万人だった。Consumer Reports誌は下降している。”
カテゴリーCはこうだ:"彼等は三年間で20万人もの読者をなくしちまった!Consumer Reports誌は死んじまった!”
Consumer Reports誌が実際読者を失っているかどうかはわからない;僕はただ説明する為に分類しただけだ(そしてブログがジャーナリズムでないという証拠を付け加えるためにね)。多分君はこの三種類の人達をもう知ってるだろうし、最初の二つの見方は正しく、三番目は明らかに間違いで、一番興味を引く事も。人々は過剰なステートメントに動揺する、特により幅広いポイントからのサービスだと。
過剰なステートメントの頂点は終末論で、何かが成長を止めると事実上死であることを宣告される。ここでは、Wolffはいい会社にいる。もし会社の成長が止まったら、ウォールストリートの投資家達は車に跳ねられた動物みたいに取り扱うだけじゃなく、CEOの頭を壁にやかましく叫ぶだろう。僕のThe Economist誌での元同僚がコミュニケーション革命について"The Death of Distance"を書いた。また別の同僚は同じように始まるビジネス本のタイトル数百冊を羅列したものを書いた。そしてWired誌の僕たちはいつも同じようなことをしている、僕たちの新しいカヴァー・ストーリーの"The End of Radio"でも(公平を喫して"as we know it(ご存知の通り)を入れておいた)。
終焉論が常に罪ではない理由は、これら三つの見方には正当性があるからだ。もちろんある人達にとって、地に足をつけて彼等の周りに起こっていることについての本当の現実にフォーカスする必要があるだろう、それがカテゴリーAだ。また他の人々にとって流行に敏感になることが大事だろう、それがカテゴリーBだ。最後に、少数の人々は曲がり角を見続けなければいけない、予兆が流行になって最終的には現実になることを、それが僕たちをカテゴリーCに導くものだ。そこではWolffとWired誌は頻繁に引き合う。
The Economist誌での非公式の社内のモットーは"単純かしろ、それから誇張しろ"だった。これは明らかに確かな手にかかれば成功するモデルだ;分析の技術は劇的な蒸留と背理法の境界線を知ることだ。秘密は、もちろんのこと、正確でいることだ。もしラジオが実際テクノロジーによって変貌しようとしていて、読者たちが僕たちの証拠と議論で納得するのなら(僕は確かだ;素晴らしい特集だし、週末にはオンラインになってる)、彼等が僕らの言わんとしてる"終焉"の意味がわかるだろう。
Wiredの僕らはWolffのようにむちで打つような加速する世界にいる、そこではトレンドの速度のわずかな揺れが一時的なものであることもあるし、次のビッグ・トレンドになるかもしれない。僕たちはお互い良く話し合うことに長けているので、僕らの時節の終焉論は効果的なレトリック的なデバイスみたいに見えるんだろう。業界は本当に崩れ、そして再編成する、そしてそれらのサインを見つけることが僕たちの義務だ。
Wolffにも着眼点はある。僕がConsumer Report誌のウェブサイトが好きなように、僕はAmazonのレビューやGoogleのほうにまず向かう時がある。なぜなら僕が買おうとしている最近のレビューを見つけたいからだ。そして僕はサブスクライバーで、非サブスクライバーには選択肢はない。僕はConsumer Reports誌は高い商品や車や洗濯機のような 耐久消費財に関しては参考にしている。それで僕をサブスクライバーとして引き留めておくためには充分だが、"製品評価の雄"としての地位を維持するのには充分ではない。それで"辺境"かって?多分違うだろうが、そう注釈しておく価値はある。
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