2006年1月 9日 (月)

"アルファ"製品サポートとしてのビジネスブロガー

なぜFortune 500はビジネスブログを持っているのか?理由は多々あるが、他の人達多くに影響力のある"アルファ・カスタマー"の一対一の製品サポートのチャンネルとして。

マイクロソフトのブロガーの手助けを借りてXbox 360/メディアセンターの問題を解決した経験は良い例になってると思う。iMedia Connectionのこの記事によると、最優良事例としてマーケティングのケーススタディになっている。

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2006年1月 4日 (水)

"The Movies":残りの僕らにとってのマシニマ

[訳注;これも比較的古いエントリーですが、マシニマ関係なので翻訳しました]

the_movies ロングテール制作者のチャプターを終わって、今は映画制作のツールが本当に民主化された時何が起こりうるのかを調べるために、例としてマシニマを研究している。マシニマで抱く期待はピクサーを全ての家庭に置くことだ、GarageBandがレコーディングスタジオを全てのデスクトップに置いたように。まだそこまで行っていないが、近づいていることは確かだ。

マシニマとしてのFPS (一人称シューティングゲーム)の問題はパレットに色が少なすぎることだ、それはキャラクターとセッティング両方、そしてそれをどのように使えるかという点に関してだ。なぜヘイロー2の映画が海兵隊がエイリアンと戦うものばかりなのかには理由がある。Sims 2はゲームでありながらマシニマが扱いやすいリアルなセッティングを持った最初の例だ。その結果がThe Stragerhoodだ。だが、それでもコントロールするのが難しすぎで、あるシーンを準備するのに何時間もかかってしまう。

だから僕の子供と僕は、Black & Whiteで名声を博した伝説的なゲームデザイナーであるPeter Molyneuxの新しいゲーム/マシニマスタジオのThe Moviesを楽しみにしていた。僕らはThe Moviesを数週間プレイして、本当に素晴らしいと思った。

核として、The MoviesはSimStudioゲームで、ハリウッドのスタジオを作り、それをSimスタイルで経営しなければいけない。それだけでも楽しいが、本当に興味深いのは"Sandbox"モードで、ゼロから自分の映画が作れる。

たくさんあるセット、コスチューム、そして最高なのは事前にアニメ化されたミクロシーン("垂直に動け"、"体を発見する"、"バナナの皮で滑る"など)から選択でき、緊張度、ユーモアなどをコンテキストに沿っていじることができる。事前に設定された俳優を使ってもいいし、顔のモデリングツールを使って自分で作ってもいい。それからこれら全てをプロットとペースの補佐機能と共にストーリボードに並べる、そしたら"撮影"は終わりで、字幕としてダイアローグをタイプしてもいいし、ポストプロダクションをするスタジオで音声を録音してもいい。

これで楽しい時間を過ごせた、特に子供たちのお気に入りのThe Moviesの映画、Attack of the Space Chickens(キスの部分は無いがね)を複製することで。ちょっとキツいのはメインのゲームを1920年代から現在までプレイしないと、全てのコスチュームとセットをアンロックできないことで、僕らにとってちょっと大変だった。今の所僕らは1930年代中盤で、子供には魅力的じゃない普通の服に加えてゴリラとロボットのコスチュームをアンロックした。チキンのコスチュームがいつアンロックされるかわからないけど、家庭の円満のため早いことされてほしいね。

Lionheadには最初から全てのものが使えるスタンドアローンのSandboxバージョンをリリースしてほしい。多分チートコードでできるんだろうけど、僕が見つけたやつでは無理みたいだ。誰かいい方法知ってるかい?

今のところ、The Moviesがマシニマのブレークスルーになると思っているのは僕らだけではない。多くの人達がコメディや政治など自分自身の映画をアップロードしている。最近のフランスの暴動に対するコメントをThe Moviesを使って作ったフランスのマシニミスト(マシニマを作る人)に関するClive Thompsonの投稿を見てくれ。Cliveが指摘する通り"このプロジェクトの生のDIY精神はここ20年間に音楽で行われてきた全てよりパンクロックだ"。同意する:本当にこれには何か特別なものがある。

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マシニマ202(中級編)

[訳注;これは個人的に興味があるトピックだったので翻訳しました。マシニマについてはウィキペディアのこのエントリーをどうぞ]

nohud_2 2ヶ月程前、僕はヘイロー2で作られた素晴らしいCodex Seriesについて投稿した(それからCodex Seriesは賞をいくつか受賞したようだ)。Codex Seriesは長い間僕の子供のお気に入りの映画だったし、監督のAlexander Winnが親切にサウンドトラックのCDを送ってくれて、それも子供たちのお気に入りのCDになった。でもマシニマの素晴らしいところは、見ていると自分でも作りたくなるところだ。

そこで僕の八歳の子供と一緒にCodexのシーンを再現することにした。マシニマの複雑な構造を息子が直感的につかんでいたのには驚いた。例えばN人の俳優がいるシーンでは、N+1のプレイヤーが必要だということ、なぜなら一人はカメラの役割を担わなければいけないからだ(六歳の娘がその役割を担った;彼女が飽きたときには僕の足が代わりを勤めた)。またシーンで注意深く振り付けをしなければいけない--ヘイロー2ではキャラが素早く動いてしまうので、動きの全てを練習しないと、俳優がスクリーンからはみ出てしまう。

でも、最もトリッキーなところは中央の銃の照準を消すことだった。まともなマシニマはゲームのように見えてはだめだ、そしてディスプレイに表示されるものを消すことは重要な部分だ。僕らはGoogleで調べたが、どうやったらいいのかを見つけられなかったので、達人Alexander Winnにアドバイスを求めた。

これが彼が教えてくれたことだ:

照準か。説明するけど、実際やることよりちょこっと難しそうに感じるだろう...

最初の武器を持ちたいものにセットしてくれ、だが"地図上の武器"のセッティングにプラズマピストルを含むこととゲームタイプがAssault、OddballかCapture the Flagだということを確認してくれ。カメラマンと一緒に武器をプラズマピストル一丁と変えてくれ、それから他のスロットで2丁持ちにしてくれ(例えば一方のスロットにプラズマピストル、他のスロットにはSMG2丁ということだ)。

別のプラズマピストルへ向かいXを押しっぱなしにする(Y, Xではない!!!)、そうすると右手のプラズマピストルが交換される。銃を左手に移すと、片手それぞれにプラズマピストルを持つことになる。それをし終わったら、特別オブジェクト(爆弾、ボールかフラッグ)に向かいプラズマピストルを充電する。充電中にオブジェクト取ろうとする。両方捨てて一つのプラズマピストルのみにしておく。同じことをすると武器無しの状態になる。

注意:ヘイロー2エンジンで武器無しの状態は"不自然"、つまり銃の上を歩くと自動的にその銃を取ってしまい、同じことを繰り返さなければいけない。よって動くときには注意してくれ!

これがそうだ。あいにく僕の息子はそれ以上ヘイロー2の映画には深入りしなかった、なぜなら僕らはマシニマをするもっと簡単な例を見つけたからだ。だがそれは次の投稿に書く...

 

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2005年10月13日 (木)

ビジネスブログ!=エグゼクティブ・ブログだって

maxhead_1 ゾッとする"ヘッド主義"のもう一つの例:ビジネスウィーク誌のStephen Bakerは"ビジネスブログの反動は近い"と警告する

CEO達とエグゼクティブ達が否定的な"そこにいた、あれをした?"のブログを止めるまで、どれぐらい要するだろうか?ブログのために十分な時間、エネルギーとオープンネスを持ったCEOは少ない。

多くのCEOが長い間まともなブログを続けていくのを想像するのは難しいという点に関しては同意する。彼らには時間がないだけではなく、自然の成り立ちとしてボスの声はブロガーのものとは相容れず、少なくても彼ら自身の企業の問題に関しては(だから僕はWiredに関してここではあまり書かない)。

でもエグゼクティブブログとビジネスブログを等しいと扱うのは大きな間違いで、世界をスターとヒットの経済と文化のレンズを通じて見るだけと同じだ(僕が"ヘッド主義"と呼ぶものだ)。最高のビジネスブログは社員のもので、ボスのものではない。彼らはもっと時間があり、分かりにくいマーケティング言葉や陳腐な格言を言わない傾向にある。そしてそれらのブログは台頭してきている、下降気味ではない。

[定義のアップデート:僕はここで"ビジネスブログ"をBakerが使ってきたような意味で用いている-企業内からのブログで大部分はその企業かその企業の製品についてのブログだ。僕はビジネス一般のブログを言及しているわけではない。この意味で別の言葉は"コーポレートブログ"あるいは"カンパニーブログ"だ。]

もっともうまく言っているビジネスブログはピアツーピアのものだ:あるプロジェクトの企業内のブログで、エンジニア、デザイナー、マネージャーや企業外でその製品を使っているか考えている他のカスタマーのものだ。

伝統的に企業の伝達は、プレスへ取り上げられ再フィルターされ、一般人に浸透し、最終的にはカスタマーに届く点である、エグゼクティブのスピーチやプレスリリースの前までは、企業内のマネージメント構造へ直結している。だがカスタマーが彼らのようなフィルターされていない声へブラウズするにつれ、それらのトップダウン管理の効果を失い始めている。

簡単に言うと、僕らはエグゼクティブが言うことよりも社員が言うことのほうを信じ始めているということだ。そして企業が社員にブログをすることを容認した場合、僕らに選択肢が与えられたなら、いつだかわからない企業のプレスリリースよりエンジニアの言葉に耳を傾けるだろう。権威ある団体の信頼性が下落するにつれ(エンロンやホワイトハウス)、個人の信頼性がそれにとって代わろうとしている。

マーケットは会話であり、スピーチではない。人々は本物の人の声を聞きたがっており、どこかの権威ある人物のものではない。抽象的な団体は透明になり普通の人々のコミュニティーが明らかになってきている。そしてこのトレンドが続く限り、消費者の注目はマネージメントの企業の声から、隣の人の人間の声へシフトするだろう。

先週のm-squared marketing conferenceでのスピーチで、僕はこの力を"メガフォンを持った蟻"だと呼んだ。エグゼクティブレベルより下の企業ブログのいいところは、その障害が外から企業についてのブログするのにマッチしているからだ。Robert ScobleDave Weinerが公共の場で議論しているのは、そこいらの会話だ。ニューヨークタイムズでビル・ゲイツのスピーチを読むのは違う。

Scobleはこれを正しい記述で終わるこの素晴らしい投稿で拡張してくれた:

よってCEOたち、もしブログをしないんなら、全然問題ない。CEOより7レベル低い僕のような男にやることを残してくれるからね。

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2005年9月15日 (木)

ロングテールで小汚い鼻持ちならない金持ちになる方法

ここに新鮮なものを作る方法、あるいは最低でも投資銀行のいくつかを感心させる確実な方法がある。僕がもらう(決して満足しない)コンサルティングのリクエストの一つとして、企業か見込みのある投資家を再評価するコンテンツをロングテールの火の元に置くのを助けることだ。別の言い方をすると、もしあるアーカイブが昨日X万ドルの価値があるとすると、オーディエンスを探し見つける効果的な方法がたくさんある時に、明日の価値はいくらになるか?

僕の半分は真剣な提案は次の三つのステップを踏むことだ。

1) そのコンテンツの現在の需要を、この2004年のアメリカの映画のボックスオフィスの売り上げのようにlog-logのスケールでプロットすること。(Kevin Marksありがとう):
boxoffice
2) 需要に対しての自然な形は、log-logでプロットした時どのべき乗法則のように直線だと想定してくれ。よってリアル世界で見られるデータでの下落は配信/配給の非効率性により人工的に抑えられた需要を反映するべきだ。(このケースでは、1,000を越えたものは余り劇場での配給を受けない)。よってそのマーケット潜在する需要は理想的な直線と現在のマーケット場での実験的なデータの差の領域だ。このように:
boxoffice2
3) 赤い部分の価値を見積もってみてくれ。それがどのロングテールのマーケットのアーカイブでの付加価値だ。アーカイブに対する現在の価格をちょっとだけ下げて入札してくれ。後ろに座って、君の財をどう使うか考えてみてくれ。

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2005年8月10日 (水)

ブロゴスフィアの第一のルール...

fight_club...はブロゴスフィアを一般化することではない。ブログが何であれ何でないかの記事を読む度によく思い起こされる、今日のニューヨークタイムズのAdam Cohenのこの記事のように。

Jeff Jarvisが詳細にCohenの記事を否定しているが、これが僕に取ってのキーポイントだ:

彼はまたブログをジャーナリズムみたいな制度に還元しようとしている。でもそうではない。ブログはみな独立している。

ブログの中でも責任あるものと無責任なもの、ジャーナリスティックなものとそうでないもの、男が支配されてるものと女が支配しているもの、不機嫌なものとまじめなもの、また表面的なもの、模倣的なもの、深みと学識あるものでプレスすら赤面せざるを得ないようなものまで。

簡略すると、ブログはロングテールで、そのロングテールのコンテンツの質と本質を一般化するといつも間違いを犯す--定義としてブログは変化し多様なものだ。

人気のないものが良くないという思い込みは古典的な迷信だ;実際、テールのコンテントはよくヘッドのコンテントより質が高い、なぜなら単純に妥協をしらないからだ。ある人々に完璧に照準されたコンテントは定義として、他の人々にとっては間違っている--そしてそれは問題ない。

ヘッドのコンテントは僕らが同じである領域に満足を与えてくれる(美しい、才能ある人々を観ること);テールのコンテントは僕らが違うという領域に満足を与えてくれる(リモート・プログラムされたDVRについて話すオタク達を観ること)。僕はどちらかというと後者の方を観ることを好むけど、ロングテールの美しいところはオタク達のほうが作る価値があるということで僕に同意する必要なんてないってことだ。多様性万歳!

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2005年8月 4日 (木)

三体問題

threebody(パンク・ロック・バンドとエコノミスト誌のどこかの間の)前世で、僕は物理学者になるためのトレーニングを受けていた。数学が、次第に節だらけになるに従って、僕らは三体の惑星や他の質量を持つ物体の重力の相互作用をコンピューティングする挑戦である"三体問題"に遭遇した。これは事実上解くのが不可能だけど、後の人生で使える手軽なメタファーだと証明してくれた。今のように...

みんなが気づいている通り、僕は三週間の間ポストし損ねた(サイドバーは追加したけど)。理由は僕は自身の三体問題を抱えているからで、その三体の中で仕事(Wiredの編集)、本、そしてブログ(それぞれの重力引力を持っている四つの体の家族を除いて)。三つのうち二人はフルタイムの仕事でそれにブログをゼロサム的に当てはめていく方法を見つけなければいけない。

本当はこれはそんなに難しくないはずだ;このブログは本についてで、結局僕の希望では本がそれ相応のスピンオフすることだった;タンジェントをサイドチャンネルの議論と過剰物が充分なポストを提供することだ。実際今までそうだったし、これからもそうだろう。でもWiredが月のサイクルを持っており、その締め切り前二週間は最大の生産量が必要だったし、本書きは植えて刈り取るサイクルがある。ここ一週間は植える時期だった。

今では、僕は膨大な調査の時期に入っている。たくさんのインタビューとデータの情報交換、編集と分析。いいニュースとして両方ともうまくはこんでいることだ。昨日は特にデータに関しては画期的な日だった。今はまだ取っておくけど、基本的に音楽に関して二つの確かな(20,000+タイトル)データセットで、一つは伝統的なリテール(棚スペースの希少性と弱い検索機能)と一つはオンラインだ(巨大な在庫商品と良質なフィルターとレコメンデーション)。

僕の主題はロングテールビジネス(巨大なバラエティー+良質なフィルター)がもっとフラットな需要カーブを描く可能性があることで、それによりヒットとニッチのバランスがよりとれる。そして語るも不思議だけど、このデータ分析が正にそれを示した。同じ在庫商品でも、二つのデータセットが標準化されれば(ヒットが同じレベルにセットされたら)、オンラインビジネスが二倍のニッチに対する需要を示した。トップ1000に対して同じ売り上げだったが、オンラインのデータは次の19,000に大しては50%もの売り上げ増があった。

よってロングテールはヒットからニッチにシフトさせることを理論的か人に聞いた感じだけではなく、今ではそれを統計的に示せる。次はこれを別のマーケットに示せたらいいと思う。オスロが待っているぞ!

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2005年7月26日 (火)

Groksterの件のサイレント・マジョリティー

LA Timesからop-edにロングテールの視点からGroksterの件を書いてくれと言われた。僕が思うに今のところ、この議論で失われている一つの要素はこれは単なる企業対消費者ではないという認識だ。新しいアマチュアのクリエイティブなクラス、"プロアマ"、はテールの深いところに広く分布していて、目下攻撃にあっている配信技術を頼っていて、もし最高裁がMGMの側にたってP2Pネットワークを警察に関わることにしたら敗者になるかもしれない。

二十年前、かの有名なベータマックスの件はVCRを保護する前例となった、その時は消費者対スタジオとレコード・レーベルだった。でも今は同等に重要なサード・パーティーがいる:クリエイティブ・アマチュアだ - 君や僕のようなただ単に消費するだけではなく、コンテンツを制作したりする。そして彼らはGroksterと新しい配信ネットワークの並外れたパワーの立場に立っている。

全てを読むにはここへ。

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2005年7月24日 (日)

とってもクリエイティブ・コモンズ

ccsearch_1
クリエイティブ・コモンズにとって素晴らしいニュース:

Googleによってイノベーションにおいて遅れを取ってきているYahoo!が、昨夜Creative Commons検索エンジンをリリースした。ラリー・レッシグ、CCの最高責任者(そしてWiredのコラムニスト)、は彼らとのミーティングとどのように彼らがこのように生産的になったのかについて記述している

私見だが、彼らはネットの未来について正しいヴィジョンを持っていた。なんでも届けることのできるプラットフォームの代わりにコミュニティーが発展できるためのプラットフォームだ。Flickrを手に入れたことによって、ブログ化へのステップと、このツールによってネット中にバラまかれることを歓迎するマテリアルを検索することができる、そのヴィジョンは現実になろうとし始めている。

僕はこれだけを付け加えておく;ありがとう、Yahoo!。とっても邪悪じゃない道のりだ。

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2005年7月22日 (金)

鞭としてのテール

longtailwhip_1

僕は大体ロングテールの面白いポストをサイドバーに入れておくんだけど、これはもったいなすぎるんで載せておく。
   
"僕の妻は八年間にも渡ってバーガーキングをボイコットしている。もちろん僕もバーガーキングをボイコットしてきたことになる。それは僕の妻のところにあまり良く焼けていないチキンサンドイッチが来て、店員がそれを引き取るか、別のものを持ってくることを拒否した日から続く。

でも僕らのバーガーキングのボイコットは企業の目から見れば意味ないことだ。Kelly MooneyがThe Ten Demandmentsで指摘している通り、ボイコットは"透明"だ

昔はあまりできることが少なかった。汚いコメントを残してもトラッシュの中でどっかいってしまっていた。会社に電話するか書くこともできたけど、それには努力を要するし、経験上、結果は満足からは程遠かった。

でも最近出たいくつもの記事が物事は変わったのだと認識を改めさせてくれた。上で記述したKelly Mooney自身のブログ新しいフォーブス誌のレポートを嫌われている企業トップサイトを参考にしている。とっても楽しませてくれる読み物だ。
注意:あまり関係ない企業について他の人の不平を聞いて時間を無駄にするかもしれない。それは単に面白いからだ。

僕は、ロングテールについてと、検索エンジンを使うことによってある特定の企業に対する文句のニッチへ辿り着くための、Lawlerの法則についての記事も目を通し...

多分これはでかい池で小さい魚でいることと小さな池ででかい魚でいることの違いなんだろう。もし"YourCompanySucks.com”のウェブサイトがGoogleのランキングで企業自身のランクより高かったら、天国が手助けしてくれる。小さい池はでかくなる方法がある...早くね。

宿題用のメッセージ?君の会社で悪い体験が花開くことは堪えられない。消費者は以前に比べて企業に闘うための最大の兵器庫を持っている。もし君らが悪い体験が活況することを許したら、ロングテールは君を引っ叩き、君を無意識に叩くだろう。"

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2005年7月11日 (月)

終焉論(Endism)を擁護して

end先週、メディアの世界で注目するべきだったのはニューヨークで開催された2005 SIIA Information Industry SummitのMichael Wolffのキーノートでの発言だった(暴露:MichaelはWired誌の姉妹誌のVanity Fair誌のメディア・コラムニストだ)。議論を呼ぶ物だった(どれほどだったかと言うと、報道によると彼はオリジナルで投稿されたものを取り除くよう要求した)、なぜならメインストリームのメディアが直面しているチャレンジについてのとっても頭のいい観察の途中で、彼はウォール・ストリート・ジャーナル誌に強打を食らわせたからだ、オンラインのコンテンツをサブスクリプション(購読)の壁に押し込んで、流通を失ってしまったと文句を言って。

僕はしかしながら、それを全く別の理由から面白いと思った:悪名高い"終焉論"だ。

筆記物から、質疑応答ではWolffはConsumer Reports誌も同様にウェブサイトへのアクセスに課金することによって、消費者の反対で苦しんでいると忠告している。"以前はオピニオン・マーケットで確かな地位を築いていたが、今では辺境(marginal)みたいなの地位にいる。"と彼は言った。"辺境"とは"事実上死んでいる"と同じ意味を持ち、Wolffが頻繁に巧みに使う言葉の代表格だ:彼の最新の本は結局"Autumn of the Mogulus"だ。

質問者はそれに対して、彼にこう質問し、その返答はずっと納得のいくものだった:

出席者:Consumer Reports誌はほぼ200万人のサブスクライバー(購読者)がいて、僕は疑問に思うんだ。コンテンツに対して払うことが価値を下げる...そのことについて。ちょっと丁寧に説明してくれないか?

Wolff:まぁ、僕はConsumer Reports誌が一時期、製品評価について本物のブランドだと思っていた。だから君らはこう言ってた”Consumer Reports誌をチェックしな"って。でも、今何かを買おうとしたら、"ウェブをチェックする"だ。Consumer Reports誌がビジネスを行ってないというわけではなく、製品評価の雄としての地位を失ってしまったってことさ。

実際、Consumer Reports誌は400万人のサブスクライバーがいると言っていて、誰が見ても辺境ではない(僕は雑誌は見ずに、26ドル/年で素晴らしいウェブサイトを見ているけど)。Vanity Fair誌だろうがWired誌だろうがそれぐらいになってくれればどんなに嬉しいか。でも僕はWolffが言わんとしていることがわかる。彼の文句を理解するには、この世には三種類の人間がいることを理解しなければいけない。サイエンス・オタクとして(訳注:彼は物理専攻で元ロスアラモス研究員)物理学の用語で説明しよう:

A)止まっている人(Position People)
B)速度の人(Velocity People)(一次関数)
C)加速度の人(Acceleration People)(二次関数)

カテゴリーAの人はこう考える:"400万人の人は一杯だ。Consumer Reports誌は正しい事をやっているに違いない。”

カテゴリーBの人はこうだ:”以前は420万人だった。Consumer Reports誌は下降している。”

カテゴリーCはこうだ:"彼等は三年間で20万人もの読者をなくしちまった!Consumer Reports誌は死んじまった!”

Consumer Reports誌が実際読者を失っているかどうかはわからない;僕はただ説明する為に分類しただけだ(そしてブログがジャーナリズムでないという証拠を付け加えるためにね)。多分君はこの三種類の人達をもう知ってるだろうし、最初の二つの見方は正しく、三番目は明らかに間違いで、一番興味を引く事も。人々は過剰なステートメントに動揺する、特により幅広いポイントからのサービスだと。

過剰なステートメントの頂点は終末論で、何かが成長を止めると事実上死であることを宣告される。ここでは、Wolffはいい会社にいる。もし会社の成長が止まったら、ウォールストリートの投資家達は車に跳ねられた動物みたいに取り扱うだけじゃなく、CEOの頭を壁にやかましく叫ぶだろう。僕のThe Economist誌での元同僚がコミュニケーション革命について"The Death of Distance"を書いた。また別の同僚は同じように始まるビジネス本のタイトル数百冊を羅列したものを書いた。そしてWired誌の僕たちはいつも同じようなことをしている、僕たちの新しいカヴァー・ストーリーの"The End of Radio"でも(公平を喫して"as we know it(ご存知の通り)を入れておいた)。

終焉論が常に罪ではない理由は、これら三つの見方には正当性があるからだ。もちろんある人達にとって、地に足をつけて彼等の周りに起こっていることについての本当の現実にフォーカスする必要があるだろう、それがカテゴリーAだ。また他の人々にとって流行に敏感になることが大事だろう、それがカテゴリーBだ。最後に、少数の人々は曲がり角を見続けなければいけない、予兆が流行になって最終的には現実になることを、それが僕たちをカテゴリーCに導くものだ。そこではWolffとWired誌は頻繁に引き合う。

The Economist誌での非公式の社内のモットーは"単純かしろ、それから誇張しろ"だった。これは明らかに確かな手にかかれば成功するモデルだ;分析の技術は劇的な蒸留と背理法の境界線を知ることだ。秘密は、もちろんのこと、正確でいることだ。もしラジオが実際テクノロジーによって変貌しようとしていて、読者たちが僕たちの証拠と議論で納得するのなら(僕は確かだ;素晴らしい特集だし、週末にはオンラインになってる)、彼等が僕らの言わんとしてる"終焉"の意味がわかるだろう。

Wiredの僕らはWolffのようにむちで打つような加速する世界にいる、そこではトレンドの速度のわずかな揺れが一時的なものであることもあるし、次のビッグ・トレンドになるかもしれない。僕たちはお互い良く話し合うことに長けているので、僕らの時節の終焉論は効果的なレトリック的なデバイスみたいに見えるんだろう。業界は本当に崩れ、そして再編成する、そしてそれらのサインを見つけることが僕たちの義務だ。

Wolffにも着眼点はある。僕がConsumer Report誌のウェブサイトが好きなように、僕はAmazonのレビューやGoogleのほうにまず向かう時がある。なぜなら僕が買おうとしている最近のレビューを見つけたいからだ。そして僕はサブスクライバーで、非サブスクライバーには選択肢はない。僕はConsumer Reports誌は高い商品や車や洗濯機のような 耐久消費財に関しては参考にしている。それで僕をサブスクライバーとして引き留めておくためには充分だが、"製品評価の雄"としての地位を維持するのには充分ではない。それで"辺境"かって?多分違うだろうが、そう注釈しておく価値はある。

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ブログ・スパムはメール・スパムのように解決可能か?

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僕がスピーチをする時に飛び出すいかつい質問はいつだって経験上最高の部分だ。火曜日に、僕はスタンフォード大学でThe Media CenterのEmerging Technologyカンファレンスで話した時にタフな質問に遭遇した:悪い奴が大量のスパムと他の自動装置でテールを駄目にする可能性はないのか?

その恐怖を単純に説明すると、テールは壊れやすく、ニッチの質は産業規模の詐欺と破壊活動の自動マーケティングに制圧されてしまうのではないかということだ。結局のところテールのS/N比(シグナル/ノイズ比)はいまだに低い:デジタル・グラフィティーはそれらを無意味にしてしまうのではないか?一時素晴らしかったUsenetの没落、これは自動スパムと釣りによって駄目になってしまった、は一つの警鐘だ。同様のことがダイヤモンドをラフから見つけてくれるブログスフィア(blogsphere;訳注:ブログの世界)と信用できるネットワークと他のレコメンデーション機能に起こるのか?

僕は答えはノーだと思う。カンファレンスでも言ったように、良く議論されるように、eメールスパムから脱却するテクノロジーの組み合わせのアプローチが、なんでコメント・スパムや同様のウェブ詐欺でも機能しないのかがわからない。簡単に言うと、スマートなテクノロジーを備えたいい奴が最終的には勝つだろう。(Ross Mayfieldがこのことを良くまとめた話をここでしている)。

僕の自信は主にスパムの問題に起因する。最近まではコントロール不能だったと見なされていた現象が、僕の場合は一日一つか二つの迷惑ぐらいの管理可能な状況になったからだ。僕は四つのスパム・フィルターを使っていて、サーバーに二つとクライアントに二つ、そして結果はつい先日取った上のグラフだ。本当のメールよりスパムのほうが多いとはいえ、ほとんど全てがほぼ間違いなしにフィルターされている。

僕はこのマルチプル・フィルターのアプローチを"カクテル・セラピー"と呼んでいる。これはエイズの治療のさい成功した薬の組み合わせを思い起こさせるからだ。最高の戦略は同時に色々な角度から攻撃することだ。

僕のスパム・ブロッカーはBayesianフィルターとネットワーク化されたブラックリストの組み合わせだ。それぞれ役割を持っているが、僕がもっとも強力だと思うのが、CloudmarkのSafetyBarで、これは派生フィルタリングを使用している。このクライエントのソフトウェアは君がスパムと認定したeメールの指紋を送って、他のCloudmarkのクライアント全てにその指紋がスパムだと認識させる。もし充分な人の充分な記録がスパムだと認定すれば、おそらくその通りだろう。このクライアントのソフトウェアは他の人全員に対しても自動的にブラックリストされたeメールを取り除き、クリックしてトラブルに巻き込まれるのを防ぐためにスパム・フォルダーに移動させる。(もし誰かが間違ってスパムだと報告すると、充分な信頼を獲得するまでそのユーザーのレーティングは下がる)。これは群衆の知恵で、市場の力が自動犯罪から闘うため開発中だ。

僕はコメントとトラックバックスパムに関しても同じような闘い方をできると思う--民主主義と共有された情報で。僕のコメントとトラックバックでポルノサイトへのリンクを溜めているコンピューターは他のブログに対しても同様のことをしている。ちょっとしたソフトウェアでそれを変える事ができる、スパムのコメントを取り除いている用心深いブロガーの"投票"と自動的にそのことを他のブログに伝える事で、人間の仲介なしに削除が行える。

もちろんeメールとコメント・スパムに違いはある。初心者にとって、ほとんどのコメント・スパムは機械が訪れたところに現れる:スパイダーたちによってパトロールされているほこりだらけのアーカイヴと、君自身のインボックスと違って、ほとんど人間に見られることのないところに。さらに、Googleはリンクをすることにより金銭的な油を火に注ぐことをしてきた、それを誰も追いかけなくても、実質的に無料で、それはハーブのバイアグラのeメール・スパムより多いと言えるだろう。

だが同じようなことはさらにもっと決定的だ。すでにMT Blacklist(MT=Moveable Type、SixApartのブログ・ソフトウェアでTypePadのホスティング・サービスの基盤で僕も使っている)というオープンソースプロジェクトが協調的なコメント・スパムのフィルタリングがいかに働くのかを示している。まだ未完成で自動化されてないが、クリエイターのJay Allenがこのプロジェクトの未来をこのように保証している。他の進出としてGoogleの"no-follow"タグがあって、ブロガーたちがコメント・スパマーたちをGoogle juiceから剥奪することを認めている。

TypePadのように全てを中央サーバーで行い誰が何を消去しているかという情報が簡単に共有できるところでは、まだ始まったばかりのこのブログサービスは行われている。僕はCloudmarkとSixApartの連中が会ってこのことについて話した事はいいと思う。"僕らはeメールスパムの教訓を学んでコメント・スパムに生かすんだ"とSixApartの製品部門のVPのMichael Sippeyが言ってくれた。"僕らはコミュニティーのフィードバック・メカニズムをフィルタリング・プロセスに導入する方法を考えている"。まだ発表は無いが、僕のトラックバックとコメントのスパムが僕の今のインボックスみたいに魔法のように掃除されている様子を一年以内に目撃できたら驚くだろう。

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ちょっとした追記

長いエッセイを続けるようにと励ましてくれる、たくさんのコメントやeメールをもらって、本当に感謝している。一週間に一個か二個するように努力する。今の所、ここのメインバーの"Long Tail comment elsewhere"を拡張することに満足して、それをフィードの一部分として扱う事にする。(The Six Apartの連中はこのサイドバーがそうであるように、TypelistにRSSをまだ実行していない、近々そうすると言ってはいるが)。

まず、オリジナルのロングテール論をまとめるのに助けてくれたKevin LawsのRSSの素晴らしい投稿から始めよう。ご存知の通り、RSSは本当にデカいことでロングテールの潜在力を最大化してくれる重要なステップだ。パブリッシュ−サブスクライブ・モデルの本質的な要素は読者の興味の対象を一括に示してくれる(フィードにサブスクライブすることによって)--そして、苦労なしにパブリッシュされた時に関係のあるコンテンツを入手させてくれる。

Kevinは僕が今までRSSのためのポストの中で、最高のアナロジーを記述してくれた:ウェブのためのTiVoだ:

(RSSが拡大している)一つの方向は君の為にタスクを自動化してくれる方向性と関連している。これは事実上のエージェント・テクノロジーの復活だ。機会が認識してくれるウェブサイトが広く流通している今となって、君のコンピューターに"Gnosticismが現れた時は教えてくれ"というようなことを伝えられるべきだ。これはGoogleの検索と同じようだが、RSSアグリゲーターがリアルタイムに伝えてくれる事から、より価値がある。最良のアナロジーは"ウェブのためのTiVoだ" - 特定のウェブサイトを"録画"して潜在的に興味深いウェブポストもレコードできる。

eメールとは違って、RSSはスパム・フィルタリングとパーソナル・メッセージが混ざってなく、コンテンツがニュースレター形式で書かれている責任は無い。RSSの原始的な要素は単一の投稿で、ページ上に適切に並べられたリーダーにとって完璧に機能する(Ask Jeevesの僕の友達に売られたばかりの、素晴らしいBloglinesみたいに)。

これがテールの下に需要を喚起するのになぜ重要かというと、RSSフィードは製品の定期的なリンクとサジェスチョン、そして君が他では聞いた事もないようなメディアへのストリームを提供してくれるからだ。一番いいことに、今までのメディアとブログのような形でなくてもいいことだ:入手できる物の通知や、どこで何を売っているかのアップデートですらいい。

最高の例はNeflixの幅広いRSSフィードで、ニューリリースのフィードも含まれている。早く読めて、パラグラフでの完璧なまとめ、それを数百もの新しいDVDについての。僕の注意を引くものに関してはツークリックすれば、僕のものになっていて、すぐに僕のドアに着くだろう。また、インディペンデントや外国物、ゲイ物やレズビアン物、そしてアニメまでニッチな分野についての最新のベストセラーのRSSフィードもある。本当に面白くて実用的だ。

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理論が実践に直面するとき

トラフィックを稼ぐためのランダムなミニ投稿よりもサブスクリプション・モデルのRSSを通じてのビューのほうが増えるっていうあの投稿を覚えているかい?まぁ、ちょっとした間違いだった:僕は訪れてくる人達の統計を見るエゴを軽くみていた。

RSSの問題は誰が見ているのかをトラックするいい方法がないことだ。僕のようなフル・フィードだとクリックして、ページのビューを発生させる必要が無い。だから僕はフィード以外の計測可能なトラフィックとリンクを増やすために、もっと投稿する誘惑にかられる、それがたくさんの読者が見ていることを意味していないにも拘らず。残念だが事実だ。

残念ながら、僕は本を書くモードに突入していて、何千語のエッセイに自分の言葉をちりばめなければいけなく、ブログの実用に見合っていない。それに本と日常の仕事を同時に、エッセイを書く事は難しい。だから僕のポリシーは逆転する:僕のエゴが減るか、もしくはRSS閲覧が測定可能になるまで、僕は他の人の考え--まぁ他の人のブログ全てみたいに--を反復する短い投稿をするようにする。

”派生物”や”怠惰”みたいな醜い言葉を使う代わりに、僕は豊富な知的なサンプリングを取り囲む事にする。まぁ、結局のところRemix Ageだからね。

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2005年7月 8日 (金)

トランジスターは屋上でセックスしない

img_01351700万人(オーストラリアの人口とほぼ同じ)の超過密都市のボンベイでは個人の価値はあまり高くない。召使い、運転手と配置されている他の労働者のカジュアルさに驚いた。

カジュアルさというのはこういうことだ:もし車をピックアップしたくて、街を徘徊している、ほとんど全て空の65000ものタクシーを呼び止めたくなかったなら、ドライバーは一晩中君を待ってくれる。下働きはベルを鳴らすとすぐ来てくれる;三歳の子のお気に入りのゲームだ。どんな些細な用事でも”男をよこせ”というのは忠告だ。そしてストリートで売っている野菜は一ドル以下で家に届けてくれる。

インドにおける階級の分裂は極端だ;民主主義は来たが、平等主義はまだだ。それにも関わらず不満はまだ少ない。金持ちの気まぐれのために何時間も待つことは他の仕事と比べて比較的良いものと思われている。

過剰のスケジュールされた土地から来たものにとっては、ボンベイのディスプレイのブラブラ加減はショックだ。ここは酷く活用できていない労働力と才能のある国だ。ある晩レストランと窓の外から、空っぽの大使のタクシーが青いネオンで照らされいたのを見て、この人間の潜在力の過剰な豊富性がテクノロジーと共通点があるのかと不思議に思っていた。

半導体の時代を可能にしたのは1980年のCarver Meadの直感的な"無駄になったトランジスター"コールだった。それまではソフトウェアはきっちり書き、当時の電子計算リソースの希少性を埋める為に効率的なコードにフォーカスされていた。だがパーソナル・コンピューターの時代の夜明けだった。人々がそれで何をしていいのかわかる前に、デスクトップでのMIPSが来た。Meadはプログラマー達がトランジスター--電子計算パワー--は自由だと想像することを提案した。それを保護するよりか、それらを最高するより有効に活用するべきだと。だからコンピューターを浪費する目につくグラフィカル・ユーザー・インターフェイスが生まれた--そしてマックとウィンドウズも。

現在ではストレージ、メモリーと帯域幅にも同様の事が言える。オリジナルのiPodは10GBのハードディスクで平均的なMP3プレイヤーのフラッシュメモリーに比べて浪費だと思われていたが、君が行く場所を想定しながらどの曲を選ぶのかを心配するかわりに、どこに行っても君のライブラリー全てを持ち運べるというコンセプトを生み出した。だからマンハッタンは今あのイヤホンで溢れかえってるんだ。同様に、僕は一ヶ月分のeメールを僕のTreoに持ち運んでいるのは、それをしない理由がないからだ;1GBのSDカードは安いからだ。

僕らを取り巻くコンピューター全てに、実質的に常にCPUが使われている。命令を待ちながらギガヘルツの推進力を開店させて。Carver Meadのアドバイスは実行された。ボンベイのストリートにいると、同様に65,000台のタクシー運転手たちもそうであって欲しいと思う。

これはインドの教訓”人の無駄遣い”と類似しているのか?インドの決定的な競争力の優位性はは人を個人としてではなくリソースと考えることなのか、何百万人で配置可能な?アウトソーシングによって縮小したシリコンバレーからはそう見えるかもしれないが、僕は答えはノーだと思う。

僕ははニューデリのどこかの官庁の技術系官庁の一人がそれにも関わらず、そのように思っている姿を想像する事ができる。だがその時、僕が出会ったコールセンターの労働者を思い浮かべる。もっと重要なことに、倫理的にも職業的にも誠実な彼等の娘の管理人を握っている彼らの両親のことたちを。僕はそれらのセンターの離職率が90%だと思う(これはアメリカのファーストフード産業の離職率に匹敵する)。そして僕は駐車場の警備員が利益を守るためではなくて、20歳の人達が車の中でセックスするためにいることも思い浮かべる。屋上へのドアは同じ理由でロックされている。

インドに来るまで伝統的な社会がどんなものか本当の意味ではわからないだろうし、家族という存在がどれほど重要なのかも(お見合い結婚はいまだに普通の事だ)。これがインドのアウトソーシング産業の規模の限界せしめる要因だ。コールセンターは出来のいい子供を地元から引き出し、今では国中からもってこないといけない。結婚するまで自宅で暮らす(時にはそれ以後も)かわりに、若い男性と女性は巨大な都市で異性の人達とアパートで暮らしている。まだ受容する事ができない文化に自然な事がおきる。

3,000万人のインド人が労働力として入ってきていると統計的に見ることができる、その多くが大学で教育され英語が話せる。そして彼等が西欧では考えられないほど安い労働規模だと。でも彼等の多くが家族を持つ個人であることを思い出し、時には文化は経済を優先することを。Carver Meadのスローガンはシリコンバレーを生み出したが、同じ事がインドで起こるとは限らない。アウトソーシングとグローバリズムの社会的効果の受容力はインドの伝統の前で頭止めになるだろう。ここではムーアの法則の文化は無い。トランジスターは両親の圧力の前では止まらない。トランジスターは屋根でセックスをしない。

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2005年7月 7日 (木)

客観性の終わり

sun僕の本の章の一つとして、僕は希少性の考えと豊富性の考えの深みのある違いを調査してきた。ロングテールは豊富性についてだ--棚のスペースからの解放、以前はそうだった、が浪費在庫の拡大へと続く:全ての物が、いつでも。でも僕らの周りには豊富性の兆候がいたるところで見られる。その一つが僕の産業、メディアで、配給の障壁の終わりがジャーナリズムの根本的なルールを変えている。

伝統的なプレミアの公平なジャーナリズムはメディアの希少性の作用だった:もし君がメインかほぼ一つのニュース源だったら、バランスを徹する義務がある。アメリカの新聞ではひと時、巨大な国でそれぞれの都市(大体一社か二社)で配給していた時、には本当だった。そして残りのアメリカのメディアはその新聞から誘導されていたジャーナリズムのスタンダードを取っていた。

でもイギリスでは長い間、全国紙があったという違いがある。よってニュースの希少性はなく、新聞は自分の立場取ることによって変化をつけていた。

今日、アメリカの新聞はアメリカのジャーナリズムへの影響と共に消えかかろうとしている:ニュースと情報はコモディティーと化している。競争優位の違いはどこからくるのか?僕は純粋なオピニオンと政治的な党派心(ラジオの場合そうだったけど)ではなく、感性世界観だと思う。

多分感性についてのもっともいい例はThe New Yorkerで、独特の声とパースペクティブを持っていて、おそらくマンハッタンのアッパーイーストの文化的生活に起源しているものだろう(暴露:彼らはConde Nastの姉妹企業だ)。The New Yorkerを新聞とは混同しないだろう--知性と注目両者から読者を想定しすぎているし、賢く洗練された人達の特別なクラブへ入ったかのような感じを読者に与えることをアピールしている。

でも感性はこぎれいである必要は無い。MaximFHMは感性を持っている、同様にMTVもだ。多分一番いい例はブログで、見分けがつき人間の声があり、興味と著者の価値観と感性で運営されている。

世界観で言うと、時に整合性のある哲学の元、展望と分析を与えるバランスが取れていてわかりやすい書き方を求めていない(環境保護、リバテアリアニズム、グローバリズムやたくさんの"イズム(ism)"の無い立場)。

例を出すと僕の母校The Economist(世界観:自由市場)。フォックス・ニュース(アメリカ勝利主義)、そして僕自身のWired(変化は良いことだ)。世界観が感性と共有することは、ライターの声が伝統的なジャーナリズムに比べて激しく、彼/彼女らの意見と反応の抑圧度が低い事だ。

僕はこの両者とも"公平な(dispassionated)メディア"の終わりの一部と見ていて、対照的に誰かが言うだろう"好色な(passionated)メディア"の台頭だと思う。僕は好色なメディアだけが来るべき数年に商品化のにじみを通過するものだと思う。僕と僕たちは、読者(そして著者!)として疑似的な公平な世話の欠如をなんとかうまく乗り切れると思う。

Dan Gillmoreがこれを"客観性の終わり"と読んでいる。同意する。

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なぜソーシャル・ソフトウェアは質の悪いレコメンデーションをするのか

orthogonalノキアのワークショップで話題になったもう一つの面白い質問は、ソーシャル・ソフトウェア・ネットワーク、例えばFriendsterのような、がテールをフィルターするためのいいレコメンデーション源になるのかということだ。一見すると、それはうまくいくように思える。でも結局のところ、君の友達達のレコメンデーション以上に信頼できるものはあるのか?でも現実は、逆説的に他人の方が頼りになることが顕著だ。

レコメンデーション・ネットワークとしてソーシャル・ソフトウェアの問題はソーシャル・ソフトウェア自身に根ざしている。"友達"は特に趣向に関してはとっても無愛想な装置だ。悲しい事に、僕の友達のほとんどは音楽に関しては不快な趣向を持っている(だからと言ってそれを彼らに向けるわけではない)一方、僕が頼っている音楽のレコメンデーションのほとんどは一度も会ったことのない人達だ、Rhapsody編集者MP3ブログか。僕がアドバイスを必要としている実質的に他の狭いカテゴリー全て;オッズでは本当にものをわかっている専門家は僕の知らない人たちばかりだということだ。

他の言葉で言うと、僕が好きなたちと僕の好きな製品の間にあるように感じる関係性はあまりないということだ。アナロジーを使わせてもらうと、サンマイクロシステムス社の共同創設者のビル・ジョイは有名なこの自明の理を発言した(これはジョイの法則として知られている):"君が誰であろうと、賢い人達のほとんどは他の人のために働く”。同じ事はレコメンデーションについても言える。君が誰であろうと、君が知らない誰かがクールなものを見つけている。

問題点を混ぜると、僕が音楽のレコメンデーションで信頼している人は映画で信頼している人達とは違う。ガジェットに関しても別の物知りグループで、同様のことがゲームに言える。実際、僕は評判や経験で形成された"信頼できるネットワーク"をたくさんあるけど、それらについて共通することはなく、ほとんどは友達とは思っていない。それらのいくつかは人間ですらない--ソフトウェアだ。

感覚的に言うと、君のフィルター全てが直行する信頼できるネットワークの一部で、そこに君自身が唯一のメンバーとしてよく参加していると思えばよい。稀にオーヴァーラップする。よって君の異なる影響の平面を一次元に凝縮しようとするどのサービスも失敗する、最低でも有益なレコメンデーションが続く限り。それはそのようなサービスがプレイリストを共有するべきではないと言っているわけでも、アマゾンのウィッシュリストをやめるべきだと言っているわけではなく、他のところでもっと良いアドバイスを僕が得る機会が多いということだけだ。

僕にとってもっとも良く働くフィルターは、まず僕が好きなものと同じ物を持っていて信頼を勝ち取り、僕がより好きになるものに向かわせてくれるものだ。それらの人についてさらに知る必要はない、彼らが僕より時間を持っていて、まだ発掘されていない宝玉を探すためにたくさんのゴミを聴いているのなら。で彼らは僕の事なんて気にかけちゃいないのさ。レコメンデーションの場合、友情は過大評価だ。

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定義:アップデート

cocktail_glass-1僕のAboutページでロングテールのちょっと長めの説明文をアップデートした。この素晴らしいウィキペディアのエントリーと共にどうぞ。
ロングテールを定義することは左の図を見れば比較的簡単だ。でも、僕がダボスのやかましいカクテルパーティーで出会った時に10秒間で説明しなければ行けないときには、まだ文字だけで説明するのは大変だ。”どのようにテクノロジーが今まで経済限界下であった製品において潜在的な巨大なマーケットを見つけることができるか”というようなフレーズはよしたほうがいい。”経済限界下”って?文脈から離れると、”製品”という言葉で僕が何を意味しているのかすらはっきりしないから。例を一つか二つ出せばはっきりするけど、いい定義なら必要ないと思う。
幸運にも、僕は素晴らしい提案をここで受けてきて、いい方向への大きいステップを踏んでいるところだ。まとめて拡張したいと思っている、カクテル・パーティーでも大丈夫なようにね。

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2005年7月 4日 (月)

MAXIMUM CITY

maximumcity_3新聞業界で古いジョークがあるんだけど、第一面の話から五十ページ目の文章に目をいかせる最良の方法は"インドで(in India)”という言葉を付け加えることだってね。これはブログでも当てはまるんじゃないかな。紙とインクの中間コストが全くかからないんで、この最も注目するべき驚異的なグローバリゼーションのホットスポットの出来事について自由に記述するよ(心配しないでいい、完全にオフトピックってわけじゃない、とにかく見ててくれればわかる)。

インドは本物の中間地帯だ。シリコンバレーを変貌させている経済源でありながら、世界で最も貧乏な国の一つだ(一市民あたりのGDPは中国の半分で、アフリカの国々の多くより少ない)。バンガロールみたいにブームに湧いている都市では、豪華な家を建築するためにコンクリートを出来る限り早く注いでいる一方、国の三分の一の人達は読み書きすらできない。僕がここに来たのは、インドなしでは今日の世界を理解することはできないからだ。でも、僕は次の投稿のための具体的な質問も持っていた。これはそのうちの一つだ。

僕はボンベイ(これは英語で言われている発音だ;オリジナルは"ムンバイ(Mumbai)”でこちらの方がヒンドゥーでは普通だ)から始めて、僕が初めてではないだろうけど、衝撃的だった。地球上でこんな所は他にない。度肝を抜かれる人口密度、目眩がする社会的階級、バロックの歴史と、もちろん、悲惨な貧困。ここはアウトソースされた経済の輝かしい24/7のデジタルハブから、僕が見た中で最悪のスラム街まで何ヤードも離れていない場所で、それ自体が何かを語りかけている。これはウキウキする(テクノロジー、音楽、興味深い社会の変化)と共に、恐ろしい(病気、貧困)。

東アジアの新興の工業国家(中国、韓国、台湾)のように、ボンベイは世界のCEOが立ち寄る必須の場所になってきている。他の国とは違って、未だに時々それらのCEOを点滴のために病院送りにされる。ヒステリックな警告を聞くと、水は基本的に毒だ:冷たかろうと熱かろうとジアルジア、赤痢、ヘプチタスBが混じっている。シャワーを浴びる時に唇をしっかり閉じておかなければいけないのがどんなに難しいのか想像できないだろう。被害にあってしまった時にどういう状況だったか、みんな思い出す:水で洗ったサラダ;もう一人は氷。今の所、僕は大丈夫だ。注意深くしてきたからね。でもちょっとあるブドウが頭によぎる(皮をむいてない果物だ!)。僕は不注意にも昨夜一皿食べてしまった。それから十分は会話に集中できなかったよ。

外国特派員だったころの不満の一つは、未だに外国人みたいに感じることのできる街を見つけることだった。外国って何だい?これはどうだい:午前二時、ボンベイの中心地から車で走っていると、僕の運転手が追い越し車線で野放しされている牛以外はファルージャの瓦礫みたいなところでぐるぐる回っている。肩越しには半分裸の五歳ぐらいの女の子が燃えているゴミで照らされた、壊れたコンクリートの巨大な鋼片にしゃがみこみながらオシッコしている。彼女の後ろの看板は最新のBlackBerryの広告をしている。インドだ!

僕のボンベイのためのガイドはボンベイのダーク・ソウル;犯罪のボスからバーの女の子まで、を素晴らしく書いたSuketu Mehta著のMaximum Cityだ。僕がこの本で気に入っているのはMehtaがこの地域が破壊されていくと同時にどのように活気づいていったのかを描いているからだ。一つの例を紹介しよう:第二次世界大戦中に賃貸で設ける事を制限する為に一時的な手段として導入された地代法だ。結局この法律を撤廃させることは不可能だった、なぜなら自然として、テナントは地主を除外することができなかったからである。多くの賃貸料が実際の価値もしくは資産コストを反映していなかったため、持ち主たちはビルをそのままにしておくことで満足した。それがボンベイの特徴的な生活を決定づける:老朽化した外装に豪華な内装。

二日間の間に、僕はMTVインド、Wiproのコールセンター、インド初の天文衛星を見にTata Institute of Fundamental Research、三つの大学、コールセンター労働者をまとめるための労働者活動家の会議、そして街中の店(この理論をテストしてみるため)などを訪問した。僕はBollywood(インド映画産業)のジャズのレクチャーを聴きにいって、Drumlineのバンドが恥ずかしがるであろうダンスフェスティバルみたいなインド人の結婚式を目撃した。さらにベンチャーキャピタリスト、コンサルタント、業界アナリストとコールセンターの労働者をインタビューした。

同時に、僕は素晴らしい人々と過ごした。その中にはMonitorでの僕の友達からフェロー編集者、さらにはブロガーまでと。さらにビジネスウィークのボンベイ支局長で幅広い人脈のある、ずば抜けたManjeet Kripalaniの元に羽を伸ばした。ありがとう、Manjeet!

明日はバンガロール。

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日本人とロボットについて

astroboyオフトピックな投稿を書くのを促してくれたのは:

・踊る日本製のロボットについての”非自発的にバックホー(切削機)を操作できる”というこのスラッシュドット・ストーリーのフレーズ。
・成田空港のユナイテッド航空のラウンジで出会った、このビールを注いでくれるロボット(注意:ヌード無しの1MBのファイル。そしてロボットではなく、単なるファンシーなソーダ・マシーンだ;でも二つの注いでくれる角度と分離されたヘッドのノズルはいいね)

「Robotender.wmv」をダウンロード

これはもちろん日本人がロボットについて何かあるわけじゃない。それどころか悪くなる一方だ。ずっと。ロボット専制君主のように。これはブログだから、僕がなんでそうなるのか三つの思いつきを進言しよう:

1.歴史。日本はハイコストな労働力を抱えた工業国だ。また外国人嫌いとまで言わないまでも、島国根性という伝統がある。外国人の労働者を入れずにどうやったら国の生産能力を上げられる?ロボットだ。
2.人口統計。日本は世界で最も老けた国だ。年寄りはアシストを必要としていて、伝統的な家族構成の崩壊は、周りに助けてくれる若い人がいないことを示唆している。解決策は?ロボットだ。
3.鉄腕アトム

P.S.;バーテンダーが機械に置き換えられたって言うのに、女性がエレベーターガールとして未だに雇われているのはちょっと皮肉だと思うのは僕だけだろうか?

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デスクから離れて

これが僕の次の二週間に渡っての旅行の内輪だ:
SF(サンフランシスコ)→東京→シンガポール→ムンバイ→バンガロール→ヘルシンキ→チューリッヒ→ダボス→チューリッヒ→マンチェスター

この旅のいくつかの場所では二歳から七歳の子供四人と一緒だよ。

投稿は軽めにする。

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2005年6月30日 (木)

定義:ファイナルラウンド!

contestどのような定義をするべきかについての呼びかけに、コメントとeメールで賢い読者諸君から膨大な数の定義が生まれた。このような速度で、本当の意味でのストーンスープ/オープンソース形式で書きたいと思う。まず、ありがとう!

君たちの多くが(見ればわかる通り)ロングテールの僕の定義をより良くしてくれた。さらに価値あることに、僕のD)”ロングテールは豊富性の経済についてだ--僕たちの文化で供給と需要の間に立ちはだかっていた障壁が無くなり、全ての物が入手可能になったらどうなるか。”が最も得票を集めたようだけど、それがどうしても委任されたすることにはしない。

僕はまだ勝者を選ぶ準備ができてない(もしくは良いもののオールスターマッシュアップのリミックスのように)が、最終的な候補は提示できる。理想は、ロングテールの良い定義は以下の三つの要素が入っているべきだ:1)ヒットからニッチへのシフト;2)豊富性の経済(無限の棚の効果);3)たくさんの小さいマーケットのアグリゲーションによる大きいマーケットの創出。

以下は当たらずも遠からずの